台湾ちんほうちゃ日記

~ガイドブックにない無目的が目的の究極のひまつぶし~

ときどき静かに漂流する

 「ここから、高雄な。おい」

 ひだりの運転席からリブヲの声がしているのに気がついた。

 「あ、う~。なんだよもうかよ。まだ早いじゃないかよ」

 ちょうどうとうとしかけていたところだったので、どことなくやる気なさそうな言葉がふいに口をついた。

 台湾の南部には玉山から台湾海峡にかけて高屏渓という大きな河がながれ、河に架かる高屏大橋屏東県高雄市をむすぶひとつの境界になっている。

 リブヲの話によると、このままあと30分も走っていれば高雄市の中心部までたどり着くということだった。

 橋の下の底の浅そうな河には、途切れたりかたまりになったり、かさかさした灰色の中州がはてしなく横たわっているのが見えた。

 特に行きたい場所があるわけでもなく、かといってホテルに帰るにはまだ早すぎたし、晩飯までにかなりの時間があったので、僕らは、なんとなく通りかかった大東文化藝術中心で車を降りることにした。

 敷地内は自由に歩くことができた。案内板には演芸場、展覧棟、芸術図書館などがあり、そういった文化的な施設を複合的に集約したような場所みたいだったけど、月曜日の今日は閉館日にあたるためそのどれもが閉まっていた。

 噴水のまわりは、まだ小学校に上がる前の子供たちが裸足で走りまわっていた。そのすぐ頭上には、気球を模した造形があり、僕らはちかくのベンチに腰を下ろして、屏東で買って飲みかけのもう氷が溶けてぬるくなったお茶で休息した。

 「月曜日は、休みが多いんだな」

 「そだ。みんな仕事する。だから月曜は休みだ」

 そうか今日は休みであったのか。僕は会社の休暇をつかってはときどきこうして台湾を歩いている。だから台湾にいて仕事と曜日の感覚を意識することはほとんどなくなっていた。
 
 ふいに、心の奥のほうで欠落のそれに似た空洞のような寂しさがぽっかりと口を開いているのを感じた。ふと、自分はいったい何をしているんだろう、と思った。それから、今自分は人生のどの位置にいるんだろう、と思った。

 これまでいったい何をしてきたんだろうか。これからいつまで続けていくつもりなんだろうか。その先にはいったい何が待っているというのだろうか。自分が望んでいたことだったのだろうか。このまま後悔はしないのだろうか。

 だろうか、だろうか、ときて、もういったいなんなんだろうか。そうした思考が縦にも横にも混ざりあって、とりとめのない不安な気持ちが胸のなかで奇妙にふわふわとゆれ動いている心持がした。

 それから、そろそろ人生の折り返し地点に来ているのかもしれないな、と思った。

 四十にして惑わず、と言う。自分は二十ぐらいのときからすでに惑っていた気がする。三十のときも同じように惑っていた。そして四十をこえた今でも惑い続けている。これからもきっとそうなるだろう。五十になったとき、自分は天命を知っているとは思えない。

 右往左往する思考をかかえたまま、ベンチに座る母親のまわりをキャーキャーと無邪気にかけまわっている子供たちを遠くに眺めて、僕はリブヲとともに車のある駐車場へかえっていった。

***高雄の大東文化藝術中心で***

大東文化藝術中心




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屏東、午後の真ん中に

 台湾メシ食いたい。屏東メシ食いたい。とにかくなんでもいいから食わせろ!

 すきっぱらなのに山登りをしてしまった引きかえに僕らが支払った代償は、とにかくもう死にそうなくらいの腹の減りぐあいだった。リブヲの運転する車のなかは、とうに昼をすぎた15時をまわっていた。

 「屏東觀光夜市にいけばメシが食える。まってろ」

 リブヲは高雄人ではあるけれども、同じ台湾南部にある屏東の地元民でもないので、慣れない屏東の街の道路のつくりの方に、ひそかに手こずっている様子であった。

 屏東觀光夜市はさすが観光と書いてあるだけあって、ちかくに思ったとおり商業的でがっつりひろめの駐車場が併設されていた。

 夜市、とはいったものの、僕たちはまだまだ午後のまんなかくらいの時間に夜市ストリートを歩いて、メシが食えそうなところを物色した。そのなか、カウンターの奥からもくもくと湯気があがっている店があったので、とりあえずその軒下にはいった。

 鷄肉飯の店のようだった。お茶碗くらいの器にメシと鶏肉の割いた肉をのせたものをふたつ注文して、さらさら食ってしまった。

 「足りないよな」
 
 「うむ、足りない」

 台湾の夜市では、はしごメシをすることが日常茶飯事だから、僕らは当然のごとく2軒目に入っていった。碗粿(ワーグイ)という食べ物で、これはこまかくすりつぶして蒸した米に、けっこう濃そうな茶色いタレをかけたものだった。そいつをスプーンでほじくったら、なかから肉がでてきたので、プリンのようなデザートを想像していた僕にとっては、その極端ぶりに驚くべきものがあった。

 「ところで、あした面接なのにこんなところで遊んでいて、大丈夫か?」

 僕はすこし気にかかっていたことをリブヲに聞いてみた。

 「あまり遅くならなければ、だいじょぶ」

 リブヲは当たり前のことを当たり前のように返した。

 「ところで君、今回の転職で何社目なんだい?」

 「9社目だな」

 「ブフォッ。
おい、いくらなんでもそれはちょっと多すぎじゃないのか」

 僕はテーブルに噴きこぼした
碗粿を、予備に残しておいたティッシュで拭いた。

 「少ないほうだな。10社は当たり前だな」

 日本の企業は転職の回数が多いとあまり良い印象をもたれない、なんてことが当たり前のように言われているが、台湾の企業は、そのような考え方はまったくないみたいだった。日本でも最近になって転職回数が4、5社の人たちがぽつりぽつりと増えてきているような気もする。しかしまだまだ台湾のそれには遠くおよばない。
 
 「だからといって、9社はけっこう多いだろよ。そういうものなのか」

 「いつでも条件がいいところにいく」

 スプーンで4回、5回すくって、碗粿はなくなった。

 遅い午後のメシは、昼飯だか晩飯だか、どちらに寄せればいいのかなんだかわからない。僕らはこの後に待っているであろう晩飯をなるべく侵食したくないと考えて、メシは一旦おしまいにした。

 最後に、飲み物をテイクアウトして帰ろうと、お茶スタンドに寄った。すでに出来上がっているお茶をただコップに注ぐだけだからすぐにできるだろうと思っていたのに、気がついたらできあがるのをしっかり待っていた。簡単そうに見えてちょっと時間がかかるところが、どこか本格的だった。

 ストローでお茶を飲みながら、僕らは高雄に帰るために車の停めてある駐車場に戻った。

***屏東觀光夜市の遅い午後***


屏東觀光夜市-11

屏東觀光夜市-2

屏東觀光夜市-3

屏東觀光夜市-44


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涼山瀑布、そのざわめき

 つぎに車を降りたのは瑪家遊客中心という観光案内所に隣接する駐車場だった。僕らの他にも何台か車が停まっていたことから、どうやらこちらは休業ではないようだ。

 案内所は、どこか民家を模した造りになっていて、ところどころに原住民族の文化を思わせる色とりどりの装飾がしてあった。

 リブヲが案内所のお兄さんに何かを聞いている横で、僕は、カウンターに並んだパンフレットを無作為に取ったり戻したりして眺めていた。パンフレットには屏東瑪家といった文字が印字されてあって、今いる場所が屏東県瑪家郷であることがわかった。

 「これから1キロ。山道を歩く。いいか」

 扉を出るとき、リブヲはくるりと振り向きなんとなく不安そうな顔をして言った。

 「おい、本気か?こんな暑い日にそんな山道なんか歩かなくったっていいだろ。それにしても、その先にいったい何があるっていうんだい」

 僕はちょっと嫌だなあと思いつつも、しかしリブヲのことだから何かおもしろいことでも企んでいるのかもしれないと思って聞き返した。

 「滝がある」

 暑い日に山道を歩くのはそれなりの体力と汗まみれになる覚悟が必要だ。しかし、着いた先で滝の水にあたることができれば、それはそれで涼しくて気分がいいんじゃないかと考えた。

 「なるほど。そうだな。せっかくここまで来たんだから。いこうか」

 山道とはいっても、ところどころに木の歩道が整備されていて、けっして足場が悪いというわけではない。それでも、階段と登り坂をいつ果てるともなく繰り返していればいつかはへたばってくるものだ。

 リブヲは山歩きとはほど遠いいかにも休日用サンダルをひっかけて、先へ先へとどんどん歩いていった。その後ろ姿は、故郷にもどり、これから本来の台湾人に着々とかえっていこうとする意思の表れに重なって見えた。

 僕は途中で何度か立ち止まっては写真を撮りつつ歩いていたが、そのうちに、写真を撮るのは言い訳で、じつは休憩をするために立ち止まることが多くなっていた。

 眼下には山の斜面につづく水のながれがあった。ときおり、せき止められたように水がゆるやかな場所があり、水遊びをする子供たちの姿があった。透明な水は、何よりも冷たそうに見えた。

 そんな風景を幾度か通り過ぎていると、ふいに歩道が途切れ、かわりにゴツゴツしたむき出しの岩が現れた。岩と岩とのあいだは、水があふれざわめきたっている。

 最初に作ったままその後ほとんど手入れをしていないようなゴム製のかたいロープが岩壁の先に向けて打ち付けてあった。僕はカメラをカバンにしまい、カバンを体に固定した。そして、自由になった両手でロープをつかむと、水に落ちないようにゆっくり岩場を登っていった。

 岩場を越えるとザーという間断のない音のなかに、小さな滝があった。こまかい水のかけらが露出した腕と顔に何度もとんできた。

 僕らはちょうどいい感じの石を見つけて、お互いすこし離れて座った。さっきまで地表からこみ上げていた熱も、ここでは休止していた。滝の音の隙間から鳥の声が聞こえた。

 それから、リブヲに教えてもらった涼山瀑布という滝の名前と写真を、僕らが同時にいた証としてSNSに記録した。

***屏東県瑪家郷の涼山滝***

涼山瀑布2


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ココロの休館日

 「あした高雄の会社面接する」

 永遠に終わりが来ないんじゃないかと思えるくらい道は容赦なくどこまでも続いていた。運転席のリブヲは、右側車線の前方に決意の視線を向けていた。

 「オレ、来月で東京の会社やめる」

 「おい!そうか。そうなんだな。じゃあこんどこそ本当に台湾人にかえっちゃうんだな。もう、日本語は話さないし、話せなくなるんだな。そうなんだな」

 はたから見たらいくらか動揺が入り混じったヘンに脅迫めいた言葉が口をついた。

 リブヲはハンドルを握ったまま、その問には何も答えようとしなかった。

 ビンロウの木とマンゴー畑が途方もなく広がる緑の平地に、いっぽんの道路がゆったり横たわっている。その上を、大量の野菜をくくりつけた原付バイクが、トコトコ音をたててドアの横を後ろに過ぎていった。

 それまで遠くで白くかすんでいた山々も、本来の荒々しい濃緑色をさらけだしてきた。風景にも、民家や店がぽつぽつと増え、徐々に街のすがたを形成しはじめていった。屏東県の三地門は、台湾原住民のルカイ族やパイワン族が多く住んでいる地域と聞いていた。

 車はいくつかの角を曲がり、山裾らしいゆるやかな勾配に入っていった。

 「ここはつり橋がある。見るか?」

 「お、うん。そうだな。見よう。見ようじゃないか」

 台湾原住民族文化園區とかいた案内版を過ぎると、やがてゲートらしきものが見えてきた。目の前に降りるバーの先には、広い駐車場があった。

 「ちょっと待てろ」

 リブヲはそう言って運転席のドアを開けると、ゲートの近くの受付小屋に走っていった。掃除をしていたおじさんに、何やら交渉をもちかけているふうだった。

 少し経ってから、リブヲは車に引き返した。そこには、肩を落としてがっかりした様子があった。

 「きょうは休みだ。休業だ。でもお願いしてみた。やっぱり入れない。ダメだった」

 「そうか、まあ別にいいよ。いいんだ。僕は気にしないよ」

 「月曜日だからな。月曜日は休みがおおい」

 「仕方がないよ。日本じゃお盆休みでも、台湾は平日なんだ。みんな仕事しているだろ。でもせっかく来たんだから、写真だけでも撮らせてもらうよ」

 車を降りると、幾重にも連なる山々が視界いっぱい見渡すことができた。おおきく空気を吸って、おおげさに吐きだしてみた。夏らしい心地のいい山風が吹いている。ふと、山の中に小さな橋がかかっているのを見た。

 「琉璃吊橋だ。写真撮ったら、つぎ、行くぞ」

 僕は、ズーム機能のないカメラで、少しずつ方角をかえながら何枚か写真を撮ってから、リブヲの車に乗り込んだ。

***台湾原住民族文化園區の前で***

台湾原住民族文化園區




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  1. 屏東
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あかるい左營、あの日の予兆

 「どこでもいいよ。ほんとうだ。もうどーこだっていいんだよ。でもまあ、あえて行きたいところをあげるとするならば、インスタ映えするところかなあ」

 「わかた。どこでもいんだな。じゃオレ10時に左營で待てる」お決まりのいいね!でリブヲとのメッセンジャーは終了した。

 朝、台中から左營へ移動する。連休のグズグズ感覚が染みついた体からしてみれば、けっこう早いくらいの時間であったが、滞在の期間もそれなりに限られている一般の旅行客でもあったので、そんな試練もよろこんで受け入れた。

 台中駅から台鐵區間車に乗って新烏日駅に着いた。すこし歩けばここにもまた台中駅がある。台湾高速鉄道という新幹線がはしる台中駅である。節約のため指定席をケチって買わないでいたが、自由席でもかなりの余裕があったので、ちょっと得した気分になった。

 高雄左營駅の改札を抜けたところで、リブヲは待っていた。普段いつも東京で会っていたリブヲであったが、こうして外国の地で改めて会ってみると、なんだか不思議な気持ちになった。もっとも彼からしてみれば高雄は故郷であり、僕はたんなる外国人にすぎないのである。

 「おいそれ、ちょっと恥ずかしいな」リブヲは僕の顔をいちべつすると開口一番に言った。

 僕は台中からあの変顔マスクを着けたままここまで来ていたのだ。

 「仕方がないんだよ。風邪をひいたらしい。別に君にうつす気はないよ。でもうつしてしまったら、すまない」

 「そうじゃね。そのマスクおかしいな。おかしい人間にみえるな、キミは」

 「よく言うよ。台湾人はいつもみんなこうして変なマスクしているんじゃあないのかよ。台湾で売ってたんだぜこのマスク。それに台湾人は個人主義でそもそも周りなんて気にならない自由勝手国民じゃなかったのかよ」

 「そうだとしても、誰もそんな変なマスクなんてしねえ」

 左營駅の駐車場は改札を抜けてエスカレーターを上がった先にある。バックパックを後部席に預けて、僕は助手席にすわった。リブヲは運転手になった。

 「いまから屏東にいく。屏東でいいな?屏東はいい景色とれる」

 車は駐車場から高雄の市街地に降り、そのまま高速道路にはいった。

 「ところで君と同じタイミングで高雄に来ることができて助かったよ。僕は何するかまったく考えてなかったからさ」

 「そうか。でも今日だけだ。明日はオレ遊んであげないな」

 「いいよ、今日いちにちだけで十分だ。ところで明日はなんの予定があるんだ?彼女がいるわけでもないのに」 

 「会社の面接な。オレ東京の会社辞める」

 フロントガラスの頭上で、鉄橋がこうこうと音を立てて通り過ぎ、車はいつしか屏東にはいっていた。

***左營の朝、そして屏東へ***

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  1. 高雄
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プロフィールです。

みのりおん

Author:みのりおん
台湾はちんほうちゃな食べ物であふれている。でもそこで出会ったのは、食べ物ばかりでなく、美しいシゼン、よく眠るイヌ、そしてとても優しいヒトビトだった。そのどれもが、明るくて、のんきで、楽しくて。そんな「ちんほうちゃ」な出来事を、とりためた写真の隅っこから、いつもニヤニヤしながら切り取っているんです。
※ちんほうちゃは台湾語でとても美味しいの意味です。
※本ブログの登場人物は基本的にすべて仮名を使用させていただいております。

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