台湾ちんほうちゃ日記

~ガイドブックにない無目的が目的の究極のひまつぶし~

台湾ちんほうちゃ日記

 だんだんと小さくなっていく陸地を見ていると、今までの台湾旅行というものは、自分の精神に大きく作用したようだな、という実感があった。そして、台湾と私とを強く結び付けていたあたたかな時代は、ここで一つの節目をむかえたようだ、とそのとき私は思った。
 
 台湾にはじめて訪れたとき、私は、慣習や言葉の違いに戸惑いを覚え、斬新な食べ物やそれらの匂いにいつも驚き、人々のやさしさに心打たれて感動の連続だった。

 そうしたみずみずしい気持ちでいた時期は、いつの間にか私の身体から通り過ぎ、既に過去の出来事になってしまっていたのである。そろそろ転換すべき時期にさしかかっているのかもしれないな、という自身の心の移り変わりを、そのあいまいな意識の中で、はっきりと認識していた。
 
 すべてが良いことばかりであったかと言えば、決してそうではない。しかし、そんなことは比較にならないくらいの、忘れることができない珠玉のような思い出が、心の奥で、ずっとあたためられていた。

 2年近くに続いた旅行を通して、私は多くの写真を撮りためていた。そして、写真をそのままにしておいたことが、少し気にかかっていた。このまま陽の光を浴びることなく、メモリの中で眠り続け、やがて朽ち果ててしまうことに。
 
 もしも、その写真の一枚一枚を整理して、そのときに見たこと、感じたこと、考えたことなどを文章につなぎ、記録として残していけば、あのときの記憶が、あの場所の空気が、完全とまではいかないかもしれないけれど、せめて片鱗だけでも、なつかしい思い出となって息を吹き返し、像を結ぶかもしれない。

 日々の、めまぐるしく流動していく情報の中で、記憶の輪郭はぼやけ、時には上書きされ、最後には消滅してしまう。今からでもいい。私は書こうと思った。私の頭からすべての思い出が消えてしまう前に。

 思い出の入れ物は「台湾ちんほうちゃ日記」とした。「ちんほうちゃ」という言葉は、私がはじめて覚えた台湾語だった。この一言が私を助け、励まし、人々とふれあうきっかけをつくってくれた。この言葉が、今までの台湾旅行を充実してものにして、どれだけ印象を深めてくれたことか。

 台北から羽田へ、さらに電車に乗り継いで自宅へ。またたく間に、規律と、繁忙と、緊張のいつもの風景に戻ってきてしまった。そのあわただしさが嫌かというとそうでもない。いつもあたたかく迎え入れてくれる台湾もいいが、こういう堅苦しい日本もけっして嫌いではない。

 台湾のSIMカードが差し込まれたスマートフォンは、電源が入っても、もう電波を拾うことはなかった。人々はエスカレーターの左側に立ち、帰宅客で混雑する電車内は、疲れた果てたように静まりかえっていた。いつもと変わらない日常がここにあった。私は昔から今日までずっとここにいたのだ。

 しばらく空けたままだった部屋に電気を入れて、横にしたスーツケースのふたを開くと、あたたかな空気がフワリと部屋の中にひろがった。そのなつかしい匂いは、しばらく留まって、いつしか消えていった。


***台北→東京の機上にて*** 


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  1. 台湾日記
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イモと黒雲

  ほそい階段を上がる途中にお店があった。入口は古い民家の裏口を少しひろくしたような朴訥とした趣があって、ここのカウンターで、注文と、支払いと、受け取りをすべて済ませるようになっていた。

 今日は台湾のともだちと会う機会にめぐまれたので、カイ君とテイさんと僕の三人で九份に遊びに来ていた。街はあいかわらず観光客による混雑と騒音と狂騒であふれていて、僕自身もそれらを増幅させる一つの要因としてしっかり貢献しているんだなあと、なんだかおかしな気持ちになった。

 本当をいうと僕は観光地というものに興味がない。どこかよそ行きの外面の部分だけをうまくパッケージングして見せられているようで、その土地の本質的なところにまで親密に踏み込んでいくことができない、自分との間に目には見えない隔たりのようなものが横たわっている気がしてならないからだ。

 店の奥にはコンクリート壁むき出しの通路が続いて、おばさんたちが粉まみれになって何かをつくっていた。手のひらを転がしてグルグルと引き伸ばしたり、丸めたりして、それらは大きなカゴに次々と山盛りに積み上げられていった。

 さっき僕たちが入口で買った芋圓という食べ物の、芋圓になるまでの過程、というものがここにあった。サトイモをすりつぶし、サツマイモの粉を混ぜて、また、茹でる。

 さらに奥に進むと、とつぜん空間がひらけて、パッと白い光が視界いっぱいにひろがった。小さな丸いテーブルや、少し大きめな四角のテーブルが自由に置かれ、さらに巨大なガラス窓にへばりつくかのように、カウンターの席がぐるりと半円上につながっていた。

 阿柑姨芋圓というお店は、山の中腹の、比較的たかい位置にあるので、下界を見渡すことができる。カウンターの向こうは、山の斜面と、青い海が、パノラマ写真のようにひろがっていた。

 テーブルもカウンターも多くの人でひしめきあい、子供から学生、そしておばあちゃんまで、ありとあらゆる世代の人々が、みんな同じテーブルに座って、おしゃべりをしながら食事をしていた。

 テーブルの角にちょうど三人が座れる席があった。木の椅子をギィーと引いて、カップを目の前に置く。里芋の煮っ転がしみたいだ。ニンジンも彩を添えている。よく見ると中に小豆が入って、底にはかきたての氷が敷かれている。

 三人のうちの誰かがサトイモのひとつを口に放り込んだ。すかさず次の誰かが放り込む。僕は、サトイモとニンジンと小豆も氷もひとまとめに、エイヤッと放り込んだ。口の中いっぱいに、ムニムニしたものがひろがって、ちょっとだけあまい。ニンジンに見えたものはニンジンじゃなかった。これもやっぱりムニムニしていた。

 前に来たのは冬で、そのときはたしかお汁粉のようなあたたかい汁にイモが浮かんでいた。今日はカキ氷に乗っかるイモだった。舌の上にイモ特有の小さな粒子がさらさらしているのは、今日も同じだった。

 カウンターの席が空いたので、行ってみた。曇ったガラス窓に曇った空が写った。上空では、いつしか、暗黒のような雲があやしいひろがりを見せはじめていた。動きの速い黒雲が、山の斜面に強い風を吹かせて、木々は右や左に激しく揺れた。ときおり、粒の大きい雨が落ちて、黒と灰色のまだらになった低い雲が小さな山のてっぺんすれすれに流れていく様子が見えた。三人は、口の中にイモを含んだまま、これからどうしようかと顔を見合わせた。
***雲ゆきあやしい九份で***


イモと黒雲


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  1. 新北
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からす日の陽

  「あら、ちょっとおにいさん」

 ベンチから見上げると、やや初老にさしかかりはじめたばかりといったおばさんが立って、こちらを見つめていた。

 「さっき、改札の駅員さんのところにいたおにいさんね」

 今から少し前、私は列車から降りた。タンタタンと小さくなってゆく區間車の後姿を見て、どうにも様子がおかしいと、あくまで一般の常識においても、そのときから既に異変に気がついていたようだった。

 そのことを確かめるため、私は、ただひとつある線路の向こうの改札口まで、階段を下りてはまた上がって、改札台の駅員さんに、高鐵(台湾新幹線)はどこにあるのかと尋ねた。

 「ここにないね。隣の駅だよ」

 私の下手な中国語が通じたのか通じなかったか、返ってきたのは予想した通りの答えだった。高鐵に接続する駅は台鐵の烏日駅ではなく、ひとつ先の新烏日駅であったのだ。その日は、台北のそのまた先の、宜蘭で約束があったため、朝から高鐵に急いでいたのである。

 どうしようか、どうなんだろうか。苛立つ神経をどうにかできるわけでもなく、私は後悔の気持ちを引きずったまま、次の列車が来るまでのおよそ40分間を、真夏のようなプラットフォームで、ただひたすら待ち続けるしかなかったのである。

 「駅員さんから聞いてね。大きな荷物を持って困っている日本の方がいるって」

 おばさんは目尻に細いしわをいくつか寄せて、穏やかに、やわらかい日本語で言った。線路の向こうからジイジイとセミの鳴く声が聞こえた。線路わきに植えられた樹木が、昼近くの太陽光を緑のからだいっぱいに反射して、ガランとなったプラットフォームにぬるい風を送っていた。

 「んまあ、一人で台湾に?」

 おばさんは、私の隣に座った。

 「はい。でも友だちいますから、大丈夫です」

 「大変だったでしょう」

 やがて、ゴーウというけたたましい音をたてて、目の前に列車が入って来た。區間車は鈍い金属音とともに速度を落として、ゆっくり停まった。ディーゼルの焼けるような匂いと、エンジンの振動音が、なんだか懐かしくて心地よく思えた。

 私は、横長のシートにおばさんと並んで座った。

 おばさんは台湾生まれで、日本人と結婚して静岡に住んでいる。子供はみんな大人になり家を出たので、今は夫婦二人で暮らしている。最近ようやく暇が出来たので、仕事がある夫は日本に置いて、久しぶりに実家に帰ってきた。ゆっくりできてよかった、と言った。今日はこれから桃園空港に行って、日本に帰るのだという。

 窓に重なる薄い日除けが太陽の光をいくから減らして、そのやわらかい陽の中で、おばさんのあたたかな笑顔が、こまやかに揺れていた。

 「これからどこへ?」
 
 「いったん、台北に行きます、そのあとは、」

 私が最後まで言わないうちに、おばさんは私の手の中に何かを押し込んだ。開くと千元紙幣があった。

 「これで切符を買いなさい。買い方は分かる?」

 「いえ、あの。これはいただけません。僕もう切符は買ってありますから」

 私は、思いつくままの言葉で抵抗して、すぐに手の中のものを押し戻した。
 
 新烏日駅のプラットフォームを降りて改札までの階段を上がると、目の前に大きなコンコースが広がった。天窓から太陽の光が、あたり一面に射しこんでいる。途中に鉄道の記念品や模型などを売る土産物屋があり、開放的な空間をさらに進むと、人工的な傾斜がゆるやかに伸びて、そのまま高鐵
台中駅に連絡していた。

 おばさんは切符を買うと言って窓口に並んだ。私はここまで送ってくれたことに礼を言い、頭を下げた。おばさんは、やさしく静かに微笑んだ。

 「気をつけて、いってらっしゃいね」

 私は少し離れた自動券売機まで歩き、台北行きの切符を一枚買った。構内には台鐵便當という駅弁屋の弁当が、通行人の気を引くように色とりどりに並べられていたが、食べたいという気持ちは起こらなかった。プラットフォームに続く、上りのエスカレーターの途中で振り向いたときには、おばさんの姿は見えなくなっていた。

***蝉が鳴きはじめた台中で***



そのやわらかい陽の中で




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  1. 台中
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サバヒー粥をもう一杯

 怒号の中で目が覚めた。窓の外からどしゃどしゃと雨が落ちる音が聞こえている。時刻は午前七時前。どうやら目覚ましをセットした時刻よりいくらか早いようだ。あーあ、今日の朝飯どうしようかな、などと低気圧でずーんと重たくなった身体をシーツにくるめたまま、まだ覚醒しきらない頭で、天井の古い染みをぼんやり見つめていた。

 僕が台南に来ることを聞いて、すぐさま駆け付けてきた友人がいた。ブンちゃんは台北人だから、東京から京都に来るような感じになるんだろうか。台南は台湾でいちばん古い都市で、日本でいう京都である。台北はもはや完全に東京化しているから、ブンちゃんは「そうだ京都、行こう」と週末散歩の気分で遊びに来てくれたんじゃないかと考えた。

 台南にやって来たのは飛虎将軍を見るためだった。鎮安堂飛虎将軍廟には日本軍人が祀られ、地元の人々に拝められ、今でも大切にされているという。そこに至るまでどのような紆余曲折があったのか、戦争中に実在したひとりの日本生まれの軍人さんが、台湾に来て神様になってしまったのである。そのややローカル的で、人間味あふれる熱い奇抜な発想に、なにかただならぬ秘密の関係というものが、日本と台湾のどこか根本の部分で、深く横たわっているように思えたのである。

 飛虎将軍に案内してくれたのはホテルのオーナーの敦さんだった。たまたま行き方を尋ねたらすぐに車を出してその場所まで乗せて行ってくれた。そんな親切な敦さんから、昨晩、近所で食べられるおススメの朝食屋を教えてもらっていたことを思い出した。その店は朝早くに開店し、売り切れたらその時点で閉店するという。朝の五時から営業しているだけに、もたもたしていたら午前中の早い段階でなくなってしまうことは確実だった。僕はシーツをけとばし、ベットから転がり起きた。

 ブンちゃんは既に1階のロビーにいた。敦さんに台南小吃という地図をもらって、お店の位置を赤ペンで印してもらった。とても「讚」な味だから是非行きなさいということだった。ちなみに「讚」とは「すばらしい」という意味である。地元の人がうまいという店で飯を食うのは、何にも代えがたい喜びだった。

 バケツをひっくり返したような豪雨は小雨にかわっていた。街のひさしのついた歩道の上には、ときおり自動車やバイクが所狭しと並んでいて、そのたびに道路に降りて迂回しなければならなかった。仕方がないので、ブンちゃんと僕は傘をさして、それからはずっと道路の端を歩いた。

 店のすぐ近くには、何台かの車が停められていた。開放された店内は、店員さんがせわしなく動き回って、いくつかある円盤状のテーブルは多くの人で埋まっていた。飯を注文する音と、飯をはこぶ音と、飯を食べる音とが、常にけたたましく回転している。天井のシーリングファンの風に煽られて、カウンターの上の、Y字金具に差し込まれた箸入れのビニールが、ちりちりと音を立てて揺れていた。そんなカウンターの隅っこに、ちょうど二人分の席ができた。

 阿堂鹹粥はお粥の専門店だった。メニューに虱目魚というものがあったので、ブンちゃんに訊いたらサバヒーという答えだった。台湾にはサバヒーという魚がいて、台南市はとりわけサバヒーの養殖が盛んで、新鮮なものがいつでも食えるという話だった。淡白な見た目と裏腹に、味は濃厚で、スープに魚の味がよく染み出ている。ぷりぷりとした白身は脂が乗って、焼いた外側がカリッと香ばしい。近頃このようなやさしい朝飯を食っていなかったなあ、と箸休めに油條という台湾揚げパンをかじりながらつくづく思った。外の雨はあがって、南の空が少し白んでくるのが見えた。

***雨上がりの台南で*** 


台南お粥の朝食



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  1. 台南
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はみ出し者の午前

 朝、新竹のホテルを引き払い、今は台北に来ている。やることはたいてい終わってしまって、あとは午後の飛行機を待つのみだった。どこか充足したような軽やかな空気が、胸や首のまわりでフワンフワンと上下している。その一方で、今さらどうにもならないのだ、というある種なげやりな気持ちも、心のどこかにつっかえている気もしていた。

 西門町のスターバックスでアイスラテを買って2階に上がった。平日のライチタイム前の店内はガランと空いていて、どのテーブルも使いたい放題だったが、謙虚なぼくは、誰も座っていないカウンターの端っこに落ち着いた。店員から受け取ったレシートの「元」の値段を「円」に換算してみたら、日本で飲むよりいくらか高いことが分かって、少し損をした気分になった。
 
 窓から見下ろす街並みは、東京の渋谷あたりと比べて、なんら代わり映えのないものだった。糖度の高いラテをひと口含んでから、ガイドブックの地図の「自分がいる場所」を眺めてみた。台北市街のど真んなかともいえる場所に位置する西門町の、それほど遠くないところには、そこそこの名のある観光スポットがいたるところに存在していた。
 
 人が本格的に活動を始める前の、まだ静かな午前に、ぼくは現代風のストリートを歩いて、街を抜けた。国道に出ると、それまで建物で遮られていた太陽が輝きはじめて、遠くの陽光のなかに、明治建築風の国家的な威厳を漂わせた建物が、ぐんぐんと近づいて来るのが見えた。

 門の手前で、カーキ色の軍服を着た憲兵に行き手をさえぎられた。手には自動小銃が鋭く光っている。憲兵は正しい顔つきでぼくを睨むと、近くにいた七三分けの白いワイシャツの係員風の男を呼んだ。男は「はい今日の受付終わりね」とやはり正しい顔つきで言った。台湾総督府は、平日の午前中だけ一般開放しているが、受付は11時30分に終了する、ということがこのときはじめて分かった。

 仕方がないので、ぼくはそのまま総督府に面した巨大道路を横切り、対岸の歩道に進んだ。やや細い道が緑じゅうたんの敷地に伸びていて、ずっと向こうの木立の影から、乾いたやさしい風が吹いてきた。

 二二八和平公園は、悲しく、やるせない、あの二二八事件が起こった場所だった。忘れられない、忘れてはいけない、台湾の重くて冷たい過去。そんな歴史の闇の部分に、深く正確に向き合う必要がある。そう考えた。そこにある記念館に行けば、当時の出来事を真実の隅ずみまで教えてくれるはずだった。

 記念館のまわりはひっそりとして、近くを歩いている人は誰もいないようだった。入口のドアはピタリと閉ざされていて、ドアの前には、何かを知らせる四角い看板がただ静かに立っていた。今日は月曜日である。台北二二八紀念館は、月曜日または祝日の翌日を休館としている、ということがこのときはじめて分かった。

 公園のなかほどまで歩くと、立体のやや幾何学的な建造物が、どこかを指し示すように、その先端をまっすぐ空に向けていた。その姿はまるで、正しくあるための道しるべを私たち後世に伝えるような、先人たちからのあたたかいメッセージに思えた。

 紀念碑の近くのベンチに座ってスマホを見ると、友人からメールを受信していたことに気がついた。「台北101の近くの会社で仕事をしているから一緒に昼飯を食べないか」という内容だった。ぼくは国道に向かい、流しのタクシーを止め、行き先を「タイペイイーリンイー」と伝えた。
***台北の二二八和平公園***

台北の


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  1. 台北
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谷と水と石と森と

 花蓮のホテルのベットの上で「うーむ」とうなった。台湾好行太魯閣任我行という太魯閣(タロコ)一日バス乗り放題チケットがあって、そのバスは花蓮駅から一日に何便も発着している、ということをインターネットで発見したのである。僕は、ひんやりしたタイルの床をはだしでぴたぴたテーブルまで歩き、缶の底に残っていた空気の抜けた生ぬるいビールをぐびりと飲んで、そのままベットに倒れた。

 翌朝僕はフロントにいたおやっさんに、花蓮駅に行きたいんだけれどタクシーはどこに停まっているのだろう、と訊いたところ、「ちょうど今からお客さんを駅まで車で送るところなんだね。だからあんたもいっしょに乗っていったらいいんだね」と、おやっさんは老眼鏡の奥のやわらかい眼をくりくりさせて言った。

 おやっさんは若い頃に東京の会社でサラリーマンをしていたが、台湾支社に駐在したことがきっかけで、50代でぷつりと会社を辞めてしまった。その退職金を元手に花連でホテルの経営をはじめて、今では日本人オーナーとして台湾で暮らしている、ということであった。前の晩に、おやっさんと僕と他の泊まり客とで、高粱酒という強い蒸留酒を飲みながらそんな話を聞いて、僕は、おやっさんの自由でさっぱりとした生き方に、密かに尊敬の念を抱くようになっていた。

 一日乗車券チケットは駅ロータリーわきの旅遊服務中心で簡単に手に入れることができた。ひとり250元。花蓮駅を出発したバスは、宿泊施設がある天祥までの10駅を、停車時間も含めおよそ1時間20分で走り抜ける。

 バスのなかは既に8割ほど席が埋まっていたので、僕はいちばん近くに空いていた通路側の座席に腰を降ろした。となりには年のころ三十代前半くらいの一人旅風な女の人が座っていて、静かに窓の外を見つめていた。

 走りはじめて40分ほどで、砂卡礑(シャカダン)の到着を知らせる運転手の声があった。手元のパンフレットには「十六キロメートルに渡る渓路には、美しい峡谷、清らかな川水、綺麗な岩石と、青々とした森がその周りを囲み立てる」と原文直訳みたいな日本語で砂卡礑の概要が書かれてある。僕は降りるかどうか考えていたんだけれど、窓側に座っている女の人が、無言で膝の上のザックをゆっくりと持ち上げる仕草が見えたので、僕はいったんは立ち上がり、けれどもその流れにのっかって、あれよあれよという間にバスを降りてしまった。旅なんて思いつきでよいのだ、と思った。

 降りたところは二車線が走る橋の上だった。獅子の石造がいくつも並ぶ欄干の向こうに、巨大な濃い緑の山々が、太陽の直射を受けて右に左にドカンと開いている。そのさらに先には、霧のように霞んだ雲が、黒い山に煙のように巻きついていた。橋のだいぶ下のところでは、透き通った青い渓流が、原始的な推進力でしたたかに流れているのが見えた。

 頭の奥から聞えるキィーンという金属音に混じって、なにかとてつもなく大規模な力に飲み込まれていくふうに、自分という形が、ミニチュア模型に置かれた小さな人間みたいに、ひどくちっぽけなものに思えた。

 橋のたもとに砂卡礑歩道と書かれた門があり、その先の、階段を降りたところが起点となっているようだった。道は砂利の細い道で、果てしなく続いているように見える。道の途中では、大理石の岸壁が頭の上まで褶曲し、半分洞窟のようになっている。遠くからは、ときおり、名前も分からない野鳥の鳴き声が聞えてくる。疲れたらどこかで折り返せばいつでも帰れるのだ。そんなことを考えながら、崖の下の、ターコイズブルーの涼しい流れに合わせて、ずんずん歩いていった。

***熱い太陽、涼しい風の太魯閣で***

谷と水と石と森と

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  1. 太魯閣
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プロフィールです。

みのりおん

Author:みのりおん
台湾はちんほうちゃな食べ物であふれている。でもそこで出会ったのは、食べ物ばかりでなく、美しいシゼン、よく眠るイヌ、そしてとても優しいヒトビトだった。そのどれもが、明るくて、のんきで、楽しくて。そんな「ちんほうちゃ」な出来事を、とりためた写真の隅っこから、いつもニヤニヤしながら切り取っているんです。
※ちんほうちゃは台湾語でとても美味しいの意味です。
※本ブログの登場人物は基本的にすべて仮名を使用させていただいております。

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