台湾ちんほうちゃ日記

~ガイドブックにない無目的が目的の究極のひまつぶし~

むくむぎバレーは緑なりき

  ひょんなことから宜蘭のホテルで台中出身の兄ちゃんと友だちになって、その兄ちゃんから近所のお店で働いている宜蘭の友だちを紹介してもらって、さらにその宜蘭の友だちから紹介してもらったのが花蓮のチョウさんだった。

 宜蘭のあとに花蓮に行こうということはうすうす計画していたものの、花蓮に行ってから何をするのかまではまったく予定をしてなかったのであるが、僕の知らないところで偶発的突発的な人間関係の複雑な要因がからみにからみあって、当初無目的であった僕の旅はにわかにも急速な展開を見せはじめていたのであった。
 
 チョウさんのバイクの後部席にまたがって花蓮市内から慕谷慕魚(Mukumugi Valley)にやって来た。実は昨日、僕たちは山の入口にある派出所、いわゆる管理所のようなところで300人以下という入山制限の枠組みからあっさり外れてしまって、今日はそのリベンジの日となった。昨日と同じ派出所で、入山許可書に必要事項を記入して提出する。僕は外国人だからパスポートも添えて入山許可を待った。午前7時前であった。
 
 近くにひとり困っていそうな男がいた。チョウさんは彼に近づいて話しかけると彼の顔はみるみると安心したような顔になった。チョウさんは花蓮のいたるところに散在する自然地帯を知り尽くした大ベテランだった。彼女のFacebookでは、アウトドアな仲間たちと岩山での登山や滝の下でのダイビングなどといった数々のアグレッシブな写真を見ることができた。彼女いわくそのすべてはここ花蓮で体験したものである、ということだった。すっかり安心しきった彼の名前はファンニンと言った。会社を休んでマレーシアから遊びに来たと言う。僕はふたたびチョウさんのバイクにまたがり、三人と二台のバイクは川の上流に向かって走り出した。

 慕谷慕魚は馨憶精緻民宿のおじさんから聞いていたとおり、ほとんど観光地化が進められていない様子だった。太魯閣渓谷のように大型バスの排気ガスや観光客の喧騒というものがほとんどというかまったく存在しない。あきれるくらいに自然をむきだしにしたところだった。

 奥地に進むにつれ、見下ろす川の色が次第に青色にかわってきた。どちらかと言えばターコイズブルーのような青さで、それはまるで自然が作ったプールのようだった。それだけ透明度が高いということなんだろう。赤色の鉄橋を通り過ぎ、しばらく進んでから路肩のように少し広がりのある場所で僕たちはバイクを停めた。

 小雨に湿った岩に何度も足を滑らせそうになりながら川岸に下りた。僕は大理石の岩の上に座り、靴と靴下を脱いでからその足を水に浸した。キュッとつめたい感覚が伝わり、足の先に気持ちのいい流れを感じた。水の中には石と同じ色をした魚が何匹も群れになって泳いでいる。頭からしっぽにはしる黒色のストライプが遠くからくっきり見えた。岩の上に吹く風が新鮮な冷たい空気を運んで、チョウさんもファンニンも僕も、真夏であることをすっかり忘れた。

 途中で車一台がやっと通れるくらいの細い道がいくつもあった。車どうしすれ違いざまに運転席から顔を出しているおっさんなどをよく見かけた。お互いに声を張り上げながら譲り合っている。台湾ではこうした緊張するシーンに出くわしても、お互いに気を使わなくてもいいというようなゆるやかな空気が全体に流れている感じがあっていい。

 お昼近くに休憩所のようなところが見えたので、僕たちはしばらく休んでいくことにした。雨にぬれてところどころ変色した木の看板には烤小米麻糬山豬肉香腸があったので、それぞれ三本ずつ注文した。烤小米麻糬は、きな粉をまぶした餅に串をさしたもので、噛んだら中から少し甘くてとろりとしたミルクがとけだした。新感覚の意外な組み合わせだったがこれがなかなかいける味だった。山豬肉香腸はその名前のとおり猪肉のソーセージであったが、僕は見事にビールが飲みたくなった。ほとんど野外のような造りの店内からは、風鈴の音と、雨露に濡れてざわめく山々の音が聞こえた。
***花蓮の渓谷で***


むくむぎバレーは緑なりき


ブログランキング・にほんブログ村へ
台湾ちんほうちゃ日記

テーマ:台湾旅行 - ジャンル:旅行

  1. 花蓮
  2. | トラックバック:0
  3. | コメント:0

墾丁糞闘記

  突如クソがしたくなった。真夏の山道である。すぐそこの草むらでやってしまおうか、という陰謀が一瞬頭の中をよぎったが、台湾の観光地でそんなことでもしてしまったら、オレは日本を代表する野グソ人間の烙印を押されたまま残りの人生をひっそりと歩んでいかなければならない、と考えなおしてなんとか踏みとどまった。

 台湾に来てからというもの、立て続けにいろんなものを飲み食いしていたので、どうもお通じがよすぎる、ということがしばらく続いていた。特に昨晩は高雄輕井澤鍋物という新進気鋭な火鍋の店で、鍋の中ぜんたいが真っ赤になるくらいに大量の唐辛子をかき混ぜて、さらにその上にまたまた大量の白米をぶち込んで、それらを台湾ビールでたらふく流し込んでいたので、ある意味で確信犯的な自業自得だと言われても仕方がない。

 社頂自然公園龍磐公園からほどよく内陸部に進んだ墾丁森林遊楽区の近くにある。公園全体が珊瑚礁の地形でできているというだけあって、いたるところで岩肌が迫る細い道や水が滴り落ちる石灰石の洞窟が目に付いた。あたりの木という木はそろいもそろって同じ方向に傾いて生えていた。どこかの本で読んだがこの地域は東北から吹く強い季節風の影響で、そこに生える木はいつも風に吹かれたままのような、言ってみれば盆栽みたいな形になってしまったのだそうだ。うーむ、芸術である。

 そうこうしているうちにふたたび次の腹痛がやってきた。いわゆる第二波である。歩道の両脇に生い茂っている植物が蜜を大量生産しているのか、の群れが集まり、身も軽やかにしてうれしそうに飛び回っている。そして、こちらの差し迫った心理を知ってか知らずか、の集団が容赦ない鳴き声を楽しそうにあたり一面に撒き散らしている。そして暑い空の下でひとりオレは冷たい汗をかいていた。できることなら蝶にでも蝉にでもなってやりたい。もうダメかもしれないと思ったとき、極限まで押し寄せていた荒波は何事もなかったかのようにまたもとの静寂を取り戻した。
 
 樹木がうっそうと交錯するトンネルを抜けてしばらく簡単な歩道を登っていくと草原がひらけたところにでた。パネルの地図が立ててあったので、今いる位置を確認するとまだ公園全体の半分も歩いていないことが分かった。公園を歩いて気がついたことであるが、人工物が極めて少ない。ありのままの自然を鑑賞しなさいという施設側からの希望なんだろうか。

 そんな平和な空気を打ち破るかのように第三波が不適な笑みを浮かべながらジワジワと隆起してきていることを腹の奥底で感じ取った。今度こそ本当にもうダメかもしれないと覚悟するとともに、泣いたり笑ったり感動したりと、今までゆかいな仲間たちとともに歩んできた台湾旅行の楽しかった思い出が、走馬灯のようにぐるぐると頭の中を駆け巡っていった。

 とうとう高雄のフェイさんもオレの異変に感づいたようだった。オレは引きつる顔を正常に押し戻して、少しでも快活に振る舞おうと、近くの草たちに肥やしでも分けてやろうかなあ、などと冗談をとばそうとしたが、オレにそんなことしている余裕がないことは誰の目にも明らかであった。フェイさんはもしものときのためのポケットティッシュをハイよと言ってオレに渡すと、オレはさっきのパネルの地図にあった自然と一体化したような公園きっての数少ない貴重なトイレ目指して一目散に坂道を駆け下りた。

 オレたちは小高い丘のところにまでやって来ていた。それまでに小裂谷、賞蝶走廊、石灰窯、湧泉、小峡谷、大峡谷、白榕、迎風門といった数々の魅惑的な名称の地点を通過していたようであったが、今から思えばそれはそれは大自然が織りなす驚異的な地形のオンパレードなのであった。
 
 丘の上から見渡すと今までのオレの苦悩がウソになるくらいの青い青い空が広がって、ずっと向こうの大地のはずれにはさっきまで遊んでいた龍磐公園が見えた。

***あおぞら広がる墾丁で***


墾丁糞闘記




ブログランキング・にほんブログ村へ
台湾ちんほうちゃ日記

テーマ:台湾旅行 - ジャンル:旅行

  1. 墾丁
  2. | トラックバック:0
  3. | コメント:0

アイスクリームはまだとけない

  昼過ぎにLinさんが予約してくれていた台中のホテルに到着した。受付の人にパスポートを渡して、用紙に名前と住所を書き込んでいると、目の前に台湾紙幣が差し出されて驚いた。お金はこちらが払うものであって、こちらがお金を受け取る筋合いはないではないか。しかしそれは、Linさんが僕が泊まるホテルの予約のために預けてくれたいわゆる予約金というものだった。
 
 僕はお金を受け取るのと引き換えに一宿分の宿泊料金を払った。Linさんはこの後ホテルに迎えに来てくれることになっている。Linさんに会ったらすぐに返そう。ぶたのように重いスーツケースをエレベーターに載せ、カードキーにかかれた番号の部屋へ向かった。

 僕がホテルに着いてまずやることといったらシャワーを浴びることであった。シャワーを浴びればそれまで熱さでふてくされていた身体がゲンキ復活である。水に近い温度でシャワーを全身に浴びて、スーツケースから着替えやお土産などを取り出そうと、3桁のダイヤルロックをあらかじめ設定しておいた正しい番号にまわした。

 グニャリといういつもと違う感触が、数字と数字が回転する間の中途半端なところから指先に伝ってきた。どこかにねじれ込んでしまったような感覚だった。番号は目的の組合せに落ち着いたものの、ロックが開く気配がない。僕は気を取り直してもう一度はじめから正しい手順で正しい番号に合わせたが、ロックはうんともすんともいってこない。

 僕はこういうときこそ冷静にならなければいけないと、素っ裸のままで、スーツケースの前に頭をかかえて考えた。もしかしたら、という不安があった。いちばんはじめに数字をまわしていたあのグニャリという感触のときに、新しい番号に変更してしまったのかもしれない。そうだとしたら僕があらかじめ設定していた番号は、上書きされて今はなくなっている可能性がある。

 僕は本格的にうろたえはじめた。新しい番号とはいったいなんなのだ。さっきまでクルクル通過していった数字の羅列を思い返してみたが、3桁ともなれば組合せや確立の理論も考慮にいれなくてはならない。僕は消去法で間違いの数字をどんどん排除していって、最後に正しい数字を一つずつ確定して答えを導き出す作戦を検討した。時間はかかるが数字を動かしていってその中でロックがいちばん緩んでいる箇所を1つずつ特定していくのだ。二つの数字の組合せが正しければ、あとは最後の数字を一周するだけになる。僕は暗号解読の専門家のように慎重に開錠にとりかかった。

 クーラーの冷気が裸体に吹き付けていて、それが次第にこたえるようになった。仕方がないので、クーラーを止めて、シャワーの前に脱ぎすてた服を着なおした。ほぼ無音となった室内では自分の心臓の音だけが聞こえた。目の前に横たわるのはLLサイズの特大スーツケースだった。これが開かない場合は日本からのお土産はすべて台無しになる。これから出会う友人たちに配るお土産はまだたくさん残っている。残り3日間を過ごすための衣服も身に着けることはできない。ガイドブックもスマートフォンの充電器もスーツケースの中にあった。

 このすべてを日本に持ち帰ることになったら、いったい何のために台湾に来たのか分からないではないか。それこそ役に立たないただの粗大なお荷物である。ロックを壊して中身を取り出す方法も考えたが、あいにく破壊できるような道具は持ち合わせていなかったし、部屋の中にも見当たらない。それに中身は欲しいがスーツケース自体も惜しい。受付の人にお願いしてみるべきか。

 そんなことが頭の中をグルグルと駆けずり回っていたとき、指先のロックの感触がにわかに変わりはじめていることに気がついた。僕は指先に神経を集中した。少しでも他の数字と違う動きを見せればそれが正解だ。やがてパチッといって唐突にロックは外れた。スーツケースに閉じ込められていた外気のぬくもりがムアッと身体にあたって、それはとても懐かしいものに思えた。

 ホテルのロビーには既にLinさんの姿があった。僕はありがとうと言ってホテルの予約金をLinさんの手に戻した。Linさんは僕に部屋はどうですかと聞いた。室内のことなどまったく考える余裕はなかったのであるが、僕はとても快適なホテルだ、どうもありがとうありがとうと言った。

 Linさんはおススメお店があると言って、僕たちは歩いた。台中駅の方面にしばらく進んでいくと、道路に人だかりができていた。それはお店の前に行列する人々の群れだった。

 宮原眼科はその名前のとおり戦前に宮原さんが開院していた医院であったが、建物を改装して現在はアイスクリーム屋さんになっているという話だ。赤レンガ造りの建造物は、そこだけ周囲の時代から切り取られたような佇まいで、かつて台中で歩んできた歴史というものの貫禄を十分に漂わせていた。

 思っていたよりもお店の回転ははやく、いつのまにか僕らの注文する番がまわってきた。Linさんはあれこれ言ってアイスを選定した。その手際のよさはとても頼もしく僕はつい感心してしまった。

 テーブルを見回してみたものの、どこも人がいっぱいで、席はひとつも空いていなかった。手に持つアイスクリームの表面は溶けかかりはじめていた。そんななか、一組の男女が僕らに向かって手招きしている。彼らは手持ちのカップをさらっと空にすると、どうぞお使いくださいというようなことを言って、テーブルとイスを僕たちに譲ってくれた。

 Linさんが選んだアイスクリームはお茶とマンゴーの組み合わせだった。僕はお土産に持ってきた銘菓じゃがぽっくるを渡した。



アイスクリームはまだとけない




ブログランキング・にほんブログ村へ
台湾ちんほうちゃ日記

テーマ:台湾旅行 - ジャンル:旅行

  1. 台中
  2. | トラックバック:0
  3. | コメント:0

太陽と月の湖で

  大学生の二人組みとは次第に打ち解けていった。ひとりは王君でもうひとりは蔡さんといった。蔡さんは台中に住んでいて、王君はこの日のために桃園から台鉄に乗ってはるばる台中まで来たのだという。僕はそうした彼らとたまたま台中駅のバス停で出会い、そしてタクシーの運ちゃんに出会い、みんなで相乗りして日月潭にやって来たのである。

 王君はいたって物静かな男で、主導権の大半は蔡さんが握っていた。行くところ行くところいつも彼女が王君の前を歩いていたし、そのうちいつのまにか、僕を含めた男二人組みが蔡さんを先頭にして後ろからついて行く図、というものが出来上がっていた。

 僕はもともと彼らとは初対面であったので、別行動をするものと思っていた。しかし、タクシーを降りるところが同じであれば、観光地という性質上行くところはだいたい同じようなものになってしまうもので、せっかくだしみんなで歩いたほうが楽しいよ、という蔡さんのひと声で、三人で行動するという結論が僕らの前に正式に下されたのである。

 日月潭の周囲は観光スポットのようなものがいたるところ点在していて、タクシーは湖をぐるり一周するように各地を各地を停まりまわった。車の窓には、いつも太陽の跳ね返りでまぶしいくらいに光っている湖面が見えた。

 タクシーは日月潭纜車というロープウェイ乗り場に着いた。蔡さんと王君と僕は、ひとり300元の往復チケットをそれぞれ買い、ゴンドラの発着場がある2階までの階段を上った。柵の中には、のゴンドラが、正しい順序と間隔を守って動いていた。僕たちは係員に指示されるままに進み、黄色のゴンドラに乗り込んだ。

 山を登るゴンドラの中からは青い湖とそれを囲むように隆起する緑の山々が、遅い午後のゆるやかな太陽の光に照らされて、浮かんでいるように見えた。僕は刻一刻と刹那的に風景を変えていくゴンドラの上昇に焦りながらも、その瞬間瞬間を逃すまいとして連続して何度もカメラのシャッターを押し続けていた。

 蔡さんはそんな僕の行動の一部始終を見て、写真ばかり撮ることに夢中になって景色をまったく楽しんでないじゃないのよ、と核心を突くような正確無比な本質的な意見を言い放った。本当にそのとおりだと思った。僕はゴンドラに乗っている間ずっと、ファインダー越しという人工的な狭い穴を通してしか風景を観察していないことに気がついた。

 20分くらいしてゴンドラは九族文化村に降りた。“九族”というのは台湾の先住民族の数を意味している。実はその後に紆余曲折な経緯をもって、今では全部で14の民族があるという結論に至ったが、この村がつくられた当時はまだ9つの民族に分類されていたので、九族という名称がそのまま継承されているということである。ここでは台湾の原住民の民芸品や工芸品や、どこか懐かしい感じがするお菓子などの土産物が売られていた。

 村の中をひとしきり見た後で、僕らはふたたびゴンドラ乗り場に戻った。帰りのゴンドラから見る外の景色は、来るときよりもいくらか色が落ちはじめていて、湖や山に反射する太陽の光も徐々に弱まりかけていた。

 僕は二人の邪魔になっていないのだろうかということをいつも気にしていた。気を利かせるつもりでところどころ二人との距離をおいたりしていたが、その度にいつも、二人のうちのどちらかは僕の視界の中にいて、それはどこか、こちらを気にかけてくれているような、初めて会ったけど初めてじゃないような親しみとして感じられていた。二人はいったいどういう関係なのだろうか、考えてみたけれどもわからないままだった。やがてゴンドラはタクシーの運ちゃんが待っている日月潭纜車の発着場に着いた。

***日月潭にて***


太陽と月の湖で


ブログランキング・にほんブログ村へ
台湾ちんほうちゃ日記

テーマ:台湾旅行 - ジャンル:旅行

  1. 日月潭
  2. | トラックバック:0
  3. | コメント:0

タロコのふもとでひとやすみ

  ぐんぐん速度を上げていくバスに向かって、おーいと手を振って追いかけてみたが、バスはだんだん遠くに小さくなっていった。走り去っていくバスの後ろ姿を見ながら、あーあ、やっちまったな、と思った。

 太魯閣を下るバスはとてつもない乱暴者だった。ヘビのようにうねる道を速度を落とすことなくじつに強引にとばした。僕はシートにしがみつくように背中と太ももで身体を固定して、両手は前の座席をガッシリとつかんでいた。そんな激しい揺れのなかでも不思議と眠たくなるもので、一日の山登りで疲れていたことも手伝って、僕はいつの間にか眠ってしまっていたようだった。バスはどこかに停まり、僕は呼びかける運転手の声で目を覚ました。そして、寝ぼけた頭でシェイシェと言って、そのままバスを降りてしまった。

 降りたところは目的地の花蓮駅からずっと離れた新城(太魯閣)駅という、自分にとってまったく見当のない土地だった。駅前の路上に何台かの車が停まっていて、駅の入口には手作りのスイカジュースの露店がでているだけだった。そして駅舎のずっと背後には、太魯閣峡谷を形成する山々がいくつか折り重なるようにして霞んで見えた。

 台湾好行太魯閣任我行というバス一日乗車券に付いてきたパンフレットの時刻表によると、新城(太魯閣)駅のバス到着時刻は17時40分となっている。僕がつい今しがた降りたバスだった。そして次に到着するバスの時刻は、そこにはなかった。つまりそれは今日の最終バスであることを意味していた。すぐさま僕は駅の窓口に行き、切符売りのおじさんに花蓮行きの列車の時刻を尋ねた。すると、次の自強号は2時間後の19時50分に来るという途方もない答えが返ってきた。

 僕はめんどうなことになってしまったと後悔しながらも、これからなにをしていいかわからず、かといって、わなわなと脱力してしまった気力を取りもどせるわけでもなく、しかし、このままここで呆然と立ち尽くしているわけにもいかず、また、そんなことをしてもなにも起きないこともわかっていたので、気晴らしでもなんでもいいから、とにかく近くを歩こうと決めた。

 乱雑に伸びた背の高い草が歩道まで迫っている平坦な道をしばらく歩いていくと、片側2車線のひときわ大きな通りにでた。道路を渡った向こう側にはセブンイレブンが見える。理由はわからないけれど、店のなかに入ればなんとかなるかもしれないと自動扉をくぐった。いい感じに茹であがった茶葉蛋の、台湾のコンビニによくあるいつもの匂いがしてくると、心なしか気持ちが落ち着いてくるような気がするのであった。

 ペットボトルのお茶を一本買って店をでたところで、猛スピードで太魯閣の方面に向かって走っていくバスがあった。もしかしたら市バスならまだあるのかもしれない。ここから花蓮までどれくらいの距離があるのかわからなかったが、いいタイミングで市バスに出会うことができれば、それほど長い時間を空虚に過ごすこともなく、花蓮のホテルに帰ることができるかもしれないと考えた。

 向かいの歩道に、小さい荷台に土のついた野菜をたくさん積んだトラックが乗り上げていた。その周りで、地元の人たちが簡単なつくりのプラスチックのイスに腰かけて世間話をしていた。

 僕は近づいてバスに乗る場所はありますかとヘタな中国語で尋ねた。すると、紺色の作業帽をかぶったおじさんが立ち上がって、そっちだよと示した方向に花蓮客運と書かれた赤い小さな看板があった。それは見過ごしてしまうほどのとても小さなバス停だった。道路から吹きつける粉塵ですすけてしまった時刻表には、今から50分ほど後に通過するはずのバスの時刻が小さく書かれていた。

 歩道の内側は広場のような敷地になっていて、見上げると、いくつもの赤ちょうちんをぶら下げたタイワン廟が建っていた。廟に上がる階段の前では、おばあちゃんと、そのすぐ近くで男の子がボールを持って走り回っていた。心に少し余裕ができた僕は、バスを待っているあいだ、近くを散歩してみることにした。個人的に写真を撮りたいと思えるようなスポットがあるわけではなかったが、これも後で思い返せばいい記念になるかもしれないと思い、来る予定がなかった土地の写真を何枚かカメラに収めて歩いた。

 ふたたび廟の近くに戻り、縁石に腰を降ろしてからセブンイレブンで買ったペットボトルのお茶を開けた。ところが最初の一口を飲んだところでブッと噴き出しそうになった。予期しない甘さが唐突に口の中に広がったからだった。間違えて砂糖入りのお茶を買ってしまうことはこれまでに何度かあった。今日はこれで何回目になるのかなあ、などとくだらない過去の失敗を思い出しいるうちに、夜のとばりは次第にあたりに落ちはじめ、その薄暗い空のなかに、コウモリが二匹、お互いにぶつかりそうになったり離れたり、予測できない動きを繰り返していた。

 そんなとき、トラックが停まっていた方向から声がしているのに気がついた。見ると、さっきの作業帽のおじさんがこっちに向かって何か大声で叫んでいる。バスが来たということらしい。おじさんは道路に飛び出していき、両手を大きく振ると、猛スピードで走るバスをまたたくまに停車させた。

 僕は作業帽のおじさんにシェイシェと言ってバスに乗り込んだ。バスの乗客は僕ひとりだけだった。そして、本当だったらもうとっくに過ぎ去って行ったはずの道を、今走りだした。
***太魯閣にて***


タロコのふもとでひとやすみ


ブログランキング・にほんブログ村へ
台湾ちんほうちゃ日記

テーマ:台湾旅行 - ジャンル:旅行

  1. 太魯閣
  2. | トラックバック:0
  3. | コメント:0

霧社とねこ

  フラフラした足取りでバス停からしばらく歩いていくと階段の上に白い石門が見えた。さらに石門を抜けて歩き進めると霧社山胞抗日起義紀念碑がある。あたりは木々がうっそうと生い茂り、晴天にもかかわらず、太陽の光がまばら模様になって地面にフワフワと浮かんで見えた。紀念碑の近くにはモーナ・ルダオの像があった。

 2013年おわりから2014年はじめにかけて、私は台湾南投秘境めぐり年越ツアーといういささかあやしい名前のツアー参加していた。今までひとりで自由で気ままな旅ばかりしてきたが、ツアーを利用したところ、自分では思いもよらないようなところに行く機会にめぐまれたので、こういった集団における規律と規則と規制に守られた正しい旅、というのもなかなかいいものだなと、二日酔いまだ覚めきらぬ頭で感心していた。

 前の晩、というか今日の未明、私は宿泊所となった山のなかの民宿で見ず知らずの台湾人たちの盛大な宴会に巻き込まれてしまい、カウントダウンによくある通常でない精神の高ぶりのなかで、金門高梁酒というひときわ強い酒をしこたま飲んでいたのであった。いや、飲まされたと言ったほうが正しい。

 昭和のはじめころに霧社事件という日本と台湾にとってとても悲しい事件が起こった。ひとことでいえば、強圧的な支配を進めた日本政府に対する原住民族の反乱と日本の鎮圧、ということであるが、今でもさまざまな証言や要因が複雑にからみ合い真相は分かっていない、というのが本当のようだ。指導者はモーナ・ルダオといわれる人物で、彼自身も最後に山のなかで自らの命を絶ってしまった。

 紀念碑のまわりは緑豊かな公園になっていて、整備が行き届いた敷地には、春のようなのどかな野鳥のさえずりが、私のなかのハングオーバーな幻想的な浮遊感とともに聞こえてきた。日本から着てきたダウンはここではもう必要なかった。

 公園の入口を隔てる道路の向かい側の斜面に階段が降りていた。前の人に続いて、ゆっくり降りていくと、小学校の校庭に出た。仁愛國民小学校の門は校舎の外廊下につながり、教室の前の板には生徒が描いた絵や学級新聞が張り出され、掃除用のモップなどが、規則正しく並んでいた。廊下をそのまま突き進むと、急に空が開けて、碧湖と呼ばれる山々にかこまれた湖が、白い霧のような光のなかで鮮やかな蒼い水をたたえているのが見えた。

 廊下を抜けて坂を上っていく途中、キンモクセイの強い香りが風にのって流れてきた。その香りに順応していくかのように、私の呼吸から、少しずつ酒の毒気が抜けてきていることが心地よかった。

 さらに坂を上っていくと、どこかに懐かしい感じがする日本風の建築様式の民家が並んでいる場所に出た。そのうちの一軒の屋根の上に、猫が集まっていた。私はひとり抜け出して、暖かそうに日向ぼっこしている猫たちを眺めた。

 瓦の上でのんきに寝転んでいる猫たちを見て、ああ、日本にいるのと全く同じだな、と私は思った。霧社に来て何よりも印象深かったのは、日本語を話すお年寄りの方が多いということだった。まるで日本人のようだと言うと、彼らは口をそろえて自分は日本人だ、と答えた。台湾にいれば決してめずらしいことではないが、今回の旅は、とりわけ多くの日本人に出会えたような心持がした。

 猫たちは、太陽のぬくもりをいっぱい吸い込んだ石の瓦に身を寄り添うようにして、しばらく同じ方向を見つめていた。
***南投~猫のいる建物***



ムシャと猫


ブログランキング・にほんブログ村へ
台湾ちんほうちゃ日記

テーマ:台湾旅行 - ジャンル:旅行

  1. 南投
  2. | トラックバック:0
  3. | コメント:0

真夜中の想定外

 感覚と意識がモウロウとしている中で目が覚めた。耳元ではかん高い機械のような音が離れたり近づいたりしている。1月の真冬のこの時期にヤツが活動をしていることはまったくの想定外であったが、台湾では想定外がよく起きることもよく分かっていたので、オレは半ばあきらめにも似た投げやりの気持ちで、カーテンの隙間からさす街の薄青い光に照らされた天井の染みをぼんやりと眺めていた。

 一度眠りかけた上体をゆっくり起こし、オレは自分から半径50センチ四方の空間へ神経を集中した。部屋の中は窓の下の国道を走る深夜のバイク音だけが聞こえていた。ヤツはオレの圏外にいることは確かだった。枕元にある部屋の全照明のスイッチを倒すと、唐突な明かりに瞳孔が一瞬ひるんだが、視界は急速に部屋の輝度になじんでいった。

 ベントリーパークスイーツは、MRT淡水線の圓山駅から歩いて5分の場所にあった。その日オレは夕方の飛行機で台北に着陸し、友人たちと飲み歩きをして、ほろ酔い気分でホテルに帰ってきた。明日は朝早くから基隆に行かなくてはならない。オレははじめて会う友だちと約束をしていたのであった。

 オレはシーツを除けてベットを立ち、ザックから帰りの飛行機のeチケットが入ったA4サイズのクリアファイルを取り出した。これで宙からヤツをたたき落とす作戦だった。幸いにして、ベッドやシーツや部屋の壁は純白に近い白であったため、白い背景の前にヤツの軌道を捉えることができれば、たとえ小さい体であったとしても、そのコントラストの明確さでヤツを仕留めるのには十分の見込みがあった。
 
 やがて崩れかけた白いシーツの前を変則的に滑空する黒い点を見た。オレは唯一のチャンスとばかりにその浮遊物に渾身の一撃を叩き込んだ。振り降ろすクリアファイルの端のあたりで、プチッという、かすかな手ごたえがあった。息絶えていく様子を見届けようと、オレはヤツが墜落したと思われる箇所を見渡してみたが、床に敷かれているのはやや黒味がかったえんじ色の絨毯だったので、ヤツを探すことはいささか時間の無駄遣いのように思われた。あれだけの打撃を受けえいれば通常でいられるはずはなく、絨毯の上で伸びているに違いないオレは確信していた。

 再びベッドに転がり、さっき陥った眠りの感覚を思い起こすようにして、オレは残留している意識のかたまりを、閉じるまぶたの中で徐々に拡散させていった。頭の中の映像が、次第に一人歩きを始めていくとき、再び、けたたましい機械音が耳元で飛び回るのを聞いた。それは、さっきと同じように大きくなったり小さくなったりを繰り返した。

 はじめて一人で切符を買い、はじめて台湾鉄道に乗り、はじめての町で降りる、という一連の試練を、オレは明日の朝から控えていた。この困難きわめる業務を遂行するためには、常に想定外の事が起こる可能性を念頭に置いて行動しなければならない、と考えていたので、心に余裕を持たせるためにも、早く起きること、そのために早く寝ること、をひそかに計画していたのであった。このいたいけなオレの気持ちを、まるであざ笑うかのように振舞い続けるヤツの心無さに対する怒りが、メキメキと闘志に変わり始めてきていた。

 オレはベッドから起き上がらないで確実にヤツを倒す方法を考えた。ヤツを叩くには、ヤツに手が届く範囲にいることがまず大前提である。オレは首から下の皮膚という皮膚のすべてをシーツに包んで、顔の表面だけ外に出した。顔を囮にしてヤツをおびき寄せる作戦である。ヤツの狙いはこの顔の一点に絞られている。ヤツが顔に舞い降りた瞬間、シーツを頭にかぶせ、オレの顔もろとも闇の中に引きずり込むのである。

 ヤツはオレの思惑通り、顔の近くまできた。そして唐突に羽の動きを止めた。ヤツはオレの顔のどこかに吸い付いている。オレは息を止めたまま、シーツを握った手を一気に顔全体まで引き上げ、自分自身のすべてをシーツの下に押し込んだ。体温が熱くこもる息苦しい暗闇の中で、ヤツの悲鳴がウンウンと聞こえている。オレはミイラになったように徐々にシーツを身体に密着させていき、ヤツが存在しているはずの空間という空間の隙間を限りなく少なくしていった。

 朝は真面目にそして定刻通りにやってきた、オレは寝不足のはずの頭が妙に冴え冴えしているのを不思議に思った。窓の下は、既に多くの車とバイクがあたり一面にエンジン音を鳴り響かせていて、今日も活動を開始しようとするタイワンエネルギーに満ちあふれて見えた。

***台北のホテルにて***



闇の中の想定外


ブログランキング・にほんブログ村へ
台湾ちんほうちゃ日記

テーマ:台湾旅行 - ジャンル:旅行

  1. 台北
  2. | トラックバック:0
  3. | コメント:0

金針山ゆきずりバスツアー

 ほんの些細な気まぐれから始まった太麻里金針花季半日遊バスツアーは、会社員おとっつあん二人組、わんぱく坊主とその母親、夏休み仲良し女子高生、水入らず旅な親と子供、なにか訳あり一人旅風の女、そして行き当たりばったり無目的無思考無関心アホ顔日本人の僕、といった出所バラバラ多種多様人物の面々を引き連れて、各所ポイントを通過しつつ、あれよあれよという間に金針山のてっぺんまでやってきたのである。

 この日はまさに台湾北東部の広い範囲で非常猛烈強烈台風が猛威を振るっていたこともあり、たとえ遠く離れた南部台東であっても、山に登るなんて頓狂な発想はどう考えても尋常でない、ということを各地台湾友人のSNSから聞かされてはいたものの、ホテルにじっとしても仕方がない、と思った僕は台東市から市バスに揺られて太麻里にて途中下車、たまたま駅構内に貼ってあったポスターと人のいい駅員さんとのたわいのない会話で導かれた山登りバスツアー、という顛末なのであった。

 山肌のいたるところに金針花が咲いていた。金針花はユリ科の花で、7月から9月の夏の時期に開花するということである。こと太麻里に関しては台湾三大金針山といわるくらいの名産地であった。そしてつぼみは食べることができるという。そういえば山登りの途中で、揚げ物の露店を見かけたが、あれが金針花の唐揚げだったんだなあ、と後悔してみたけど遅かった。

 山頂では筋肉たくましい長髪色黒の大きな男が、マイクロバスが停まる横で拡声器を振り回しながら、山々に反響するくらいのこれまた大きな声でガイドをしていた。ときに冗談や演歌なども交えて、ときどき見物客からどっと笑いが起こるものの、もちろん僕には分からない。

 さらに高い位置に円形状の屋根が立つ展望台のようなところが見えた。他のバスツアーの人たちとすれ違いながら、石造りの階段をどんどん上がって行くと、下界のずっと遠くに広く太麻里郷を見渡すことができた。麓にいたころよりもいくぶん空気が冷たくなっていて、半そでTシャツ一枚の僕には少しこたえた。

 バスは太麻里の郷公所に戻った。いわゆる町役場で、金針山のバスは今からおよそ3時間前にこの駐車場から出発したのであった。さっきまでバスで一緒だった人たちはお互いに打ち解け、出身地を聞きあったりと、和気あいあい最後の会話を楽しんでいる様子だった。

 夕暮れの時間になり、それではお元気で、とみんなそれぞれ帰る方向に別れていった。僕は台東市内のホテルに戻るため、ひとり太麻里駅へ向かった。

***台東の太麻里で***



金針山


ブログランキング・にほんブログ村へ
台湾ちんほうちゃ日記

テーマ:台湾旅行 - ジャンル:旅行

  1. 台東
  2. | トラックバック:0
  3. | コメント:0

プロフィールです。

みのりおん

Author:みのりおん
台湾はちんほうちゃな食べ物であふれている。でもそこで出会ったのは、食べ物ばかりでなく、美しいシゼン、よく眠るイヌ、そしてとても優しいヒトビトだった。そのどれもが、明るくて、のんきで、楽しくて。そんな「ちんほうちゃ」な出来事を、とりためた写真の隅っこから、いつもニヤニヤしながら切り取っているんです。
※ちんほうちゃは台湾語でとても美味しいの意味です。
※本ブログの登場人物は基本的にすべて仮名を使用させていただいております。

いろんな場所にいきました。

台北 (10)
基隆 (2)
新北 (4)
新竹 (13)
苗栗 (3)
台中 (7)
彰化 (4)
鹿港 (2)
南投 (5)
日月潭 (3)
嘉義 (4)
台南 (10)
高雄 (11)
屏東 (4)
墾丁 (4)
小琉球 (2)
宜蘭 (10)
花蓮 (10)
太魯閣 (2)
台東 (11)
台湾日記 (1)

ぶろぐ村です。

facebookもやっています。

Twitterはじめました。

メッセージはこちらから☆

mvcos.infini@gmail.com

月別アーカイブ

RSSリンクの表示

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

QRコード

QR