記憶のかいてん

 新竹に行こうと決めたのは、けっこう前に行ったことがあったけれどそれほど行ってないかもしれないからまあこのへんでちょっと行ってみようかなあ、といった、いつもの無頓着思考にもとづく気まぐれ理由からだった。

 6年ぶりの新竹は前に来たときと比べてあまり変わっていないように思った。とはいっても何年も前の記憶なんてきっと大部分がうわ書きされ消失しているはずで、そんなフワフワな過去の記憶と現在とを比較しているようじゃ、僕はこれからもずっと無頓着な気泡コンクリ頭的思考のままで生きていくんだろうな。

 こんな無責任きわまりない僕の旅を手助けするためにわざわざ台北から駆けつけてくれたブンちゃんの後について、僕は赤い新竹城隍廟の門をくぐった。

 せまい通路の両側には、肉まんじゅうや魚だんごスープ、それに牡蠣オムレツやビーフンなどの屋台という屋台がすきまなくひしめき、食べる人と歩く人と店の人たちがぶつかりあい、天井に向けておびただしいほどの熱気を発射していた。

 そして頭の後ろあたりにグルグルとうごめく感触があった。このテーブルで食べていた頃の記憶が、今、この空気と一致したのである。

 食べものの匂いに混じって線香のケムリが鼻のまわりにフワンフワンとただよってきた。人のながれをさかのぼっていくと、屋台の密集がとぎれて、ふいに空がひらいた。夕空のゆるやかな照射をうけて金いろに装飾された廟がピカリとかがやいた。

 ブンちゃんの真似をして手にした5本の線香にローソクの火をうつした。廟のなかはじつに様々な神様が祭られ神様ごとに特技があるということであった。僕は間違ってヘンなことをしないように、ブンちゃんの動きを見てそれとまったく同じことをしようとした。お祈りの最中もまぶたを閉じない閉じられない。頭のなかはやっぱりからっぽだった。

 ひとしきり拜拜をした後で、新竹東門城にでた。このロータリーで帰りの道が分からなくなって迷子になったときのことを思い出した。でも、なんとなく、見え方があのときと違っているようにも思えた。新竹が変わったのか、自分が変わったのか。いずれにしても、記憶は見る者の主観にすぎない。記憶はそのときの状態で決定され、時間の経過とともに加工されていくんだ。

 城を周る円形状の交差点からいくつもの道路が放射状にのびている。どこの都市でもそうであるように、通勤の時間は、車やバイクや人の群れがおおきくうねり、やがて自由な方向に散っていく。日没の近づいた新竹の街も、そうした光景がいくつも重なって見えた。

***新竹城隍廟から東門城へ***



記憶の回転1

記憶の回転2



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台湾ちんほうちゃ日記

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みのりおん

台湾の街とか田舎とか飯屋をウロウロとあるきまわる無気力無思考無頓着なタワイモナイ日々をなけなしの写真とバカな文章でただひたすら書きつづけます。
※ちんほうちゃは台湾語でとても美味しいの意味。

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