紫に沈んで

 2012年7月9日 台東

 アスファルトに落ちるは黒いになるとすぐにまた道路の色に消えた。しかし走る自転車の速度からはその顛末までを見ることはできない。台東市街のはずれにある森林公園に向かって私は自転車をこいでいた。午後の4時であることを忘れたかように夏の空が重い湿度の中に淀んでいた。

 自転車はホテルから借りた。自転車には鍵がなかった。台東では自転車は盗まれないらしい。しかし何かあったら面倒だと思い、手の指でワッカを作って鍵を貸してくれるよう受付の小姐にお願いしたら、カウンターの奥から塗装が禿げかかったロックを持ってきてくれた。カウンターの上にあったA4版の手作りの地図を自転車の前かごに放り込むと片方のペダルにぐっと体重を落とした。

 山の上にあるお寺を見物して、を走って、それから森林公園に入るというルートを頭に描きながら、涼しくもない風に吹かれた。行きたい場所は特になかった。私にとって走ることが目的のようなものだった。

 太陽が沈みそこねた空には、まだ真夏の非常さが残っていた。喉が渇いた私は国道の隅に佇んでいる一軒の寂れた商店に自転車を止めた。20元のペットボトル入りのコーラをレジに置いたら10元と言われた。すぐにお店のおばさんがやってきて料金を訂正すると20元を支払った。初めにレジにいた人はなんだったのか。強い炭酸で喉を濡らすと再び灼熱の道路に戻った。

 森林公園と書かれたアーチをくぐると景色は一転して森の様相を呈した。夏休みのちびっこギャングがワーキャー叫びながら自転車を走らせていた。散歩をしている近所の老夫婦、ジョギングで汗を流す仕事帰りのサラリーマン、サイクリングの親子連れ、池で釣り糸を垂れる学生たち。私はあてもなく公園を走っている。

 森を抜けると海が見える道路に出た。道路といっても車はほとんど走っていない。道路のすぐ端は行き止まりだった。自転車を止めて潮の風に当たっていると、どこから来たのか、海岸に沿うように突き出しているコンクリートの上を、黒い野良犬がひとりで散歩をしていた。去っていく犬の後姿を見つめていると、私はなんだか寂しい気持ちになった。

 早く帰りたいと思う心の裏側には、まだここに留まりたいという気持ちがあって、同じような景色を意味もなく走っていた。暗がりに沈んでいく空に、少しの不安を感じながら、ただ時間だけをつぶしていた。

 前かごの生ぬるくなったコーラを飲み干してから、ゆらゆらと揺らめく海辺を右手に、くすぶりかけた道路をのっそりと進んだ。道路を挟んで海の反対側、松の木が開けたところに出ると、視界一面に桃色の夕日が覆いかぶさった。私はサドルにまたがったまま、紫に沈んでゆく様子を、ただじっと見つめていた。

 かすかに当たる薄明かりが裏にできた影をさらに黒く染めていた。そろそろ帰らないと暗闇になる。前輪に目を落とすとライトがなかった。鍵がないことは出かける前に見付けたが、ライトがないことには全く気が付かなかった。私は少し後悔した。背には既に黒くなった森が広がっている。しかし来た道を逆にたどればホテルに戻れるはずだった。

 私の周りはペダルをギシギシと踏む音だけが鳴り響いた。ときおり前方で揺らめく光を見ると自分は一人ではないことを思い出させた。対向に車が現れないことを願いながら、私はゆっくりと、深い闇に堕ちていった。


紫に沈む



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台湾ちんほうちゃ日記

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みのりおん

台湾の街とか田舎とか飯屋をウロウロとあるきまわる無気力無思考無頓着なタワイモナイ日々をなけなしの写真とバカな文章でただひたすら書きつづけます。
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