8月の不協和

 店を出てからも私はふりかえりながら心のなかで何度もお礼をしていた。蒸しかえる外気のなかでいっそう熱くなった目頭が、その部分だけ体から浮かんだみたいに所在なげにゆらいでいるように思えた。苗栗に着いて1時間もたたない出来事であった。誰に対しても親切にありたいと思うあたたかな気持ちになる一方で、体のなかで何かが欠落したような、なんだかやりきれないもどかしい気分がじんわりと残った。

 きれいに整理されたレンガ色の小道を、駅の方角に向けて歩いた。平日の午後とあって歩いている人は私以外に誰もいない。どこに行くというあてもなくただ、歩く、ということが自分の性格に合っていると思った。このまま台北のホテルに戻ってもいいと考えた。ここにいてもしようがないのだ。何もできないまま、ただ、人から親切のほどこしを受けて喜んでいるくらいなら、誰にも会わないでいるほうがましだと考えた。台湾人の“おもてなし”を求めて台湾に来ているみたいで、そんな自分という人間が、勝手で、傲慢で、ずるいようで、とてつもなく汚く嫌な存在に思えてならなかった。

 広い道路にぶつかり、階段を少し上がった先に、生活雑貨を陳列したスーパーマーケットがあった。何かを買うついでにクーラーの風にあたろうかなとも考えたが、今すぐに必要なものはない。店でもらったペットボトルのお茶は、夏の空気でだいぶ温まってはいたが、1リットル容器の半分から下には、この後の喉の渇きにも十分に対応できるだけの水分をたたえていた。

 道の途中で声をかける人があった。自分に向けたものではないと思い、そのままにして歩き出したら、また声がかかった。見るとバイクにまたがった男が、中国語で私に何かを言っているようだった。私は言葉が理解できないなりにも聞いていたが、どうやら道を尋ねているらしいことが分かってきた。困ってしまった私は「プーハオイースー(すみません)」と、返事として正しい用語であるのか自信が持てないままに答えた。私が言葉を理解できない外国人だと理解してくれたのか、男は、それ以上の会話を続けようとはせず「シェイシェ」と少し申し訳なさそうにほほ笑んで、またどこかに走り去っていった。

 歩道の右手にはコンクリート製のベンチを円形に配置した小さな休憩所があった。すぐ脇に公衆トイレの入り口が見える。トイレのなかで出口を失ったセミが羽をばたつかせてジイジイと壁のいたるところにぶつかっていた。このまま朽ち果てていくのかと思うと、気の毒に思えた。出口に追い詰めるようにして近づくと、ビビビっと鳴いてこれまでの息苦しさから開放されるように、かなりの勢いで広い道路の向こうに飛んでいった。道路の向こうには、苗栗縣政府とかかれた、鉄筋で造られた真新しい立派な建物が見えた。

 線路に沿うようにして、台灣鐵路管理局苗栗鐵道文物展示館があった。はやい話が日本時代に使われていた機関車を並べた屋外の展示館である。係員はいない。見物は無料であった。屋外といっても天井があり、日陰になっているぶん風が心地いい。自分以外に見物する人は誰もいなかった。ガイドブックの紹介文などを読めば、理解を深めるという点でより有意義な観光としての価値を高められることが分かっていながら、それらをカバンから取り出すだけの気力がなかった。なかにはSLのような蒸気機関車があり、普通であれば歴史の想いにふけったりするものであろうが、私には何の感慨も起こらなかった。展示館は静かだった。私はひとり、体のなかで欠落した何か、について考えた。そうして、なんだか寂しい気持ちになっていった。

***苗栗で***

8月の不調和






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台湾ちんほうちゃ日記

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みのりおん

台湾の街とか田舎とか飯屋をウロウロとあるきまわる無気力無思考無頓着なタワイモナイ日々をなけなしの写真とバカな文章でただひたすら書きつづけます。
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