谷と水と石と森と

 花蓮のホテルのベットの上で「うーむ」とうなった。台湾好行太魯閣任我行という太魯閣(タロコ)一日バス乗り放題チケットがあって、そのバスは花蓮駅から一日に何便も発着している、ということをインターネットで発見したのである。僕は、ひんやりしたタイルの床をはだしでぴたぴたテーブルまで歩き、缶の底に残っていた空気の抜けた生ぬるいビールをぐびりと飲んで、そのままベットに倒れた。

 翌朝僕はフロントにいたおやっさんに、花蓮駅に行きたいんだけれどタクシーはどこに停まっているのだろう、と訊いたところ、「ちょうど今からお客さんを駅まで車で送るところなんだね。だからあんたもいっしょに乗っていったらいいんだね」と、おやっさんは老眼鏡の奥のやわらかい眼をくりくりさせて言った。

 おやっさんは若い頃に東京の会社でサラリーマンをしていたが、台湾支社に駐在したことがきっかけで、50代でぷつりと会社を辞めてしまった。その退職金を元手に花連でホテルの経営をはじめて、今では日本人オーナーとして台湾で暮らしている、ということであった。前の晩に、おやっさんと僕と他の泊まり客とで、高粱酒という強い蒸留酒を飲みながらそんな話を聞いて、僕は、おやっさんの自由でさっぱりとした生き方に、密かに尊敬の念を抱くようになっていた。

 一日乗車券チケットは駅ロータリーわきの旅遊服務中心で簡単に手に入れることができた。ひとり250元。花蓮駅を出発したバスは、宿泊施設がある天祥までの10駅を、停車時間も含めおよそ1時間20分で走り抜ける。

 バスのなかは既に8割ほど席が埋まっていたので、僕はいちばん近くに空いていた通路側の座席に腰を降ろした。となりには年のころ三十代前半くらいの一人旅風な女の人が座っていて、静かに窓の外を見つめていた。

 走りはじめて40分ほどで、砂卡礑(シャカダン)の到着を知らせる運転手の声があった。手元のパンフレットには「十六キロメートルに渡る渓路には、美しい峡谷、清らかな川水、綺麗な岩石と、青々とした森がその周りを囲み立てる」と原文直訳みたいな日本語で砂卡礑の概要が書かれてある。僕は降りるかどうか考えていたんだけれど、窓側に座っている女の人が、無言で膝の上のザックをゆっくりと持ち上げる仕草が見えたので、僕はいったんは立ち上がり、けれどもその流れにのっかって、あれよあれよという間にバスを降りてしまった。旅なんて思いつきでよいのだ、と思った。

 降りたところは二車線が走る橋の上だった。獅子の石造がいくつも並ぶ欄干の向こうに、巨大な濃い緑の山々が、太陽の直射を受けて右に左にドカンと開いている。そのさらに先には、霧のように霞んだ雲が、黒い山に煙のように巻きついていた。橋のだいぶ下のところでは、透き通った青い渓流が、原始的な推進力でしたたかに流れているのが見えた。

 頭の奥から聞えるキィーンという金属音に混じって、なにかとてつもなく大規模な力に飲み込まれていくふうに、自分という形が、ミニチュア模型に置かれた小さな人間みたいに、ひどくちっぽけなものに思えた。

 橋のたもとに砂卡礑歩道と書かれた門があり、その先の、階段を降りたところが起点となっているようだった。道は砂利の細い道で、果てしなく続いているように見える。道の途中では、大理石の岸壁が頭の上まで褶曲し、半分洞窟のようになっている。遠くからは、ときおり、名前も分からない野鳥の鳴き声が聞えてくる。疲れたらどこかで折り返せばいつでも帰れるのだ。そんなことを考えながら、崖の下の、ターコイズブルーの涼しい流れに合わせて、ずんずん歩いていった。

***熱い太陽、涼しい風の太魯閣で***

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みのりおん

台湾の街とか田舎とか飯屋をウロウロとあるきまわる無気力無思考無頓着なタワイモナイ日々をなけなしの写真とバカな文章でただひたすら書きつづけます。
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