からす日の陽

  「あら、ちょっとおにいさん」

 ベンチから見上げると、やや初老にさしかかりはじめたばかりといったおばさんが立って、こちらを見つめていた。

 「さっき、改札の駅員さんのところにいたおにいさんね」

 今から少し前、私は列車から降りた。タンタタンと小さくなってゆく區間車の後姿を見て、どうにも様子がおかしいと、あくまで一般の常識においても、そのときから既に異変に気がついていたようだった。

 そのことを確かめるため、私は、ただひとつある線路の向こうの改札口まで、階段を下りてはまた上がって、改札台の駅員さんに、高鐵(台湾新幹線)はどこにあるのかと尋ねた。

 「ここにないね。隣の駅だよ」

 私の下手な中国語が通じたのか通じなかったか、返ってきたのは予想した通りの答えだった。高鐵に接続する駅は台鐵の烏日駅ではなく、ひとつ先の新烏日駅であったのだ。その日は、台北のそのまた先の、宜蘭で約束があったため、朝から高鐵に急いでいたのである。

 どうしようか、どうなんだろうか。苛立つ神経をどうにかできるわけでもなく、私は後悔の気持ちを引きずったまま、次の列車が来るまでのおよそ40分間を、真夏のようなプラットフォームで、ただひたすら待ち続けるしかなかったのである。

 「駅員さんから聞いてね。大きな荷物を持って困っている日本の方がいるって」

 おばさんは目尻に細いしわをいくつか寄せて、穏やかに、やわらかい日本語で言った。線路の向こうからジイジイとセミの鳴く声が聞こえた。線路わきに植えられた樹木が、昼近くの太陽光を緑のからだいっぱいに反射して、ガランとなったプラットフォームにぬるい風を送っていた。

 「んまあ、一人で台湾に?」

 おばさんは、私の隣に座った。

 「はい。でも友だちいますから、大丈夫です」

 「大変だったでしょう」

 やがて、ゴーウというけたたましい音をたてて、目の前に列車が入って来た。區間車は鈍い金属音とともに速度を落として、ゆっくり停まった。ディーゼルの焼けるような匂いと、エンジンの振動音が、なんだか懐かしくて心地よく思えた。

 私は、横長のシートにおばさんと並んで座った。

 おばさんは台湾生まれで、日本人と結婚して静岡に住んでいる。子供はみんな大人になり家を出たので、今は夫婦二人で暮らしている。最近ようやく暇が出来たので、仕事がある夫は日本に置いて、久しぶりに実家に帰ってきた。ゆっくりできてよかった、と言った。今日はこれから桃園空港に行って、日本に帰るのだという。

 窓に重なる薄い日除けが太陽の光をいくから減らして、そのやわらかい陽の中で、おばさんのあたたかな笑顔が、こまやかに揺れていた。

 「これからどこへ?」
 
 「いったん、台北に行きます、そのあとは、」

 私が最後まで言わないうちに、おばさんは私の手の中に何かを押し込んだ。開くと千元紙幣があった。

 「これで切符を買いなさい。買い方は分かる?」

 「いえ、あの。これはいただけません。僕もう切符は買ってありますから」

 私は、思いつくままの言葉で抵抗して、すぐに手の中のものを押し戻した。
 
 新烏日駅のプラットフォームを降りて改札までの階段を上がると、目の前に大きなコンコースが広がった。天窓から太陽の光が、あたり一面に射しこんでいる。途中に鉄道の記念品や模型などを売る土産物屋があり、開放的な空間をさらに進むと、人工的な傾斜がゆるやかに伸びて、そのまま高鐵
台中駅に連絡していた。

 おばさんは切符を買うと言って窓口に並んだ。私はここまで送ってくれたことに礼を言い、頭を下げた。おばさんは、やさしく静かに微笑んだ。

 「気をつけて、いってらっしゃいね」

 私は少し離れた自動券売機まで歩き、台北行きの切符を一枚買った。構内には台鐵便當という駅弁屋の弁当が、通行人の気を引くように色とりどりに並べられていたが、食べたいという気持ちは起こらなかった。プラットフォームに続く、上りのエスカレーターの途中で振り向いたときには、おばさんの姿は見えなくなっていた。

***蝉が鳴きはじめた台中で***



そのやわらかい陽の中で




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台湾ちんほうちゃ日記

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みのりおん

台湾の街とか田舎とか飯屋をウロウロとあるきまわる無気力無思考無頓着なタワイモナイ日々をなけなしの写真とバカな文章でただひたすら書きつづけます。
※ちんほうちゃは台湾語でとても美味しいの意味。

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