それでも前に進んでいく

  金爪石という九份ちかくにある金鉱時代の数々の“歴史”を残した博物園区をひとしきり見学したあとで友人の携帯電話が鳴った。今日はお母さんの誕生日だからこれから家に帰ってお祝いをするんだ、と言う。そして、あなたも一緒に来るように、ということになった。
 
 朝から降り続いた雨にぬれてどっしり重くなったジーンズがすこし気にかかったものの、友人の突然だがせっかくの誘いをむげに断るわけにもいかなかったので、こんな格好で申し訳ないなと思いながらも、私はご一緒させていただくことにした。

 手ぶらだった私は、せめて簡単な手土産でもと思い、基隆駅ちかくにあったセブンイレブンに立ち寄った。レジの奥に陳列されている菓子箱の番号を店員に伝えたところ、それに気づいた友人はすぐさま止めにはいろうとしたので、私は半ば強引に財布を取りだした。それでも友人は負けじと自分の財布から台湾元札をだしてきたので、さらに私も台湾元札をだして店員にすばやく受け取ってもらう必要があった。

 基隆港の上空を白くおおっている厚い雲の間から、すこし冷たい1月の雨粒が、ザッザアとまばらな音を立てて落ちていた。夕暮れ近くの駅のロータリーには、忙しげに行き交うバスと、雨にあたらないよう駅舎から停留所へ小走りにしている帰宅の人たちであふれていた。
 
 私たちが待つ停留所にもバスが停まった。降車の客がひと段落したあとで、友人に続いてステップを上がり、運転席の横に取り付けてあるカード読み取り機に、台北のMRTで買ったばかりの悠遊カードをかざした。悠遊カードは日本でいうSuicaであるが、私にとっては今回がバスでのはじめての試みだったので、次からはひとりでバスに乗ることができる、とすこし得意な気持ちになった。

 車内は思っていたよりも広かったが、その分だけ座席が少ないように感じた。カビと排気ガスの匂いが染み込んだ木の床を、一二歩進んだところで、突然、からだ全体がぐわんと宙をすべり、そのまま姿勢を一直線に保ったまま、前方右手の柱の方角に落ちた、という感覚があった。同時に、自動化された時間の連続が断ち切れた、という実感もあった。私は倒れる直前に友人の手に支えられ、救われたのであった。

 バスは乗客が座席に着くまで発車しないものだと思い込んでいたことは、自分にとって都合のいい単なる思い込みだったのかもしれない、ということを身をもって思い知らされる一件となった。

 減速加速を繰り返し、左右に揺れ動くバスのなかで、私は友人の手に引かれて、ずっと後方の空いている座席まで歩いた。車内は満員というほど人の密度は高くなかったが、空いている座席は一人分だけだった。友人は私に座るように言った。

 自分は座らなくても大丈夫だから、と言いかけたが、私にそのようなことを言う資格はない、ということも分かってしまったので、おとなしく座っていることにした。友人は片方の手で私の荷物を持ち、もう片方の手で、手すりをつかんで、じっと立っていた。

 疲れていたのか眠ってしまったようで、気がついたときには、窓の外は暗くなっていた。バスはまだ走っている。友人の家に向かっていることは知っていたが、ここがどこなのか、ましてや友人の家がどこにあるかということまでは、知らないのであった。見上げると友人の姿はなかった。振り返ると私のひとつ後ろの座席で、友人は腰を落ち着けることができたようだった。

 今までの台湾で観光地に行くことはあっても、友人の家に行く、ということはなかった。まして友人といっても今日の朝はじめて会ったばかりだったので、友人と呼んでしまうことが、いささか虫のいい話であるように思えてならなかった。

 普通でないと考えていたことが、台湾ではごく普通の出来事であった、ということを、これから徐々に知っていくのであるが、台湾特有の得体の知れない奥深さというものの中に、すでにどっぷりと足を踏み入れてしまっていることに、このときの自分はまだ気がついていなかったのである。

***基隆にて***



それでも前に進んでいく

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台湾ちんほうちゃ日記

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みのりおん

台湾の街とか田舎とか飯屋をウロウロとあるきまわる無気力無思考無頓着なタワイモナイ日々をなけなしの写真とバカな文章でただひたすら書きつづけます。
※ちんほうちゃは台湾語でとても美味しいの意味。

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