台湾ちんほうちゃ日記

~ガイドブックにない無目的が目的の究極のひまつぶし~

アイスクリームはまだとけない

  昼過ぎにLinさんが予約してくれていた台中のホテルに到着した。受付の人にパスポートを渡して、用紙に名前と住所を書き込んでいると、目の前に台湾紙幣が差し出されて驚いた。お金はこちらが払うものであって、こちらがお金を受け取る筋合いはないではないか。しかしそれは、Linさんが僕が泊まるホテルの予約のために預けてくれたいわゆる予約金というものだった。
 
 僕はお金を受け取るのと引き換えに一宿分の宿泊料金を払った。Linさんはこの後ホテルに迎えに来てくれることになっている。Linさんに会ったらすぐに返そう。ぶたのように重いスーツケースをエレベーターに載せ、カードキーにかかれた番号の部屋へ向かった。

 僕がホテルに着いてまずやることといったらシャワーを浴びることであった。シャワーを浴びればそれまで熱さでふてくされていた身体がゲンキ復活である。水に近い温度でシャワーを全身に浴びて、スーツケースから着替えやお土産などを取り出そうと、3桁のダイヤルロックをあらかじめ設定しておいた正しい番号にまわした。

 グニャリといういつもと違う感触が、数字と数字が回転する間の中途半端なところから指先に伝ってきた。どこかにねじれ込んでしまったような感覚だった。番号は目的の組合せに落ち着いたものの、ロックが開く気配がない。僕は気を取り直してもう一度はじめから正しい手順で正しい番号に合わせたが、ロックはうんともすんともいってこない。

 僕はこういうときこそ冷静にならなければいけないと、素っ裸のままで、スーツケースの前に頭をかかえて考えた。もしかしたら、という不安があった。いちばんはじめに数字をまわしていたあのグニャリという感触のときに、新しい番号に変更してしまったのかもしれない。そうだとしたら僕があらかじめ設定していた番号は、上書きされて今はなくなっている可能性がある。

 僕は本格的にうろたえはじめた。新しい番号とはいったいなんなのだ。さっきまでクルクル通過していった数字の羅列を思い返してみたが、3桁ともなれば組合せや確立の理論も考慮にいれなくてはならない。僕は消去法で間違いの数字をどんどん排除していって、最後に正しい数字を一つずつ確定して答えを導き出す作戦を検討した。時間はかかるが数字を動かしていってその中でロックがいちばん緩んでいる箇所を1つずつ特定していくのだ。二つの数字の組合せが正しければ、あとは最後の数字を一周するだけになる。僕は暗号解読の専門家のように慎重に開錠にとりかかった。

 クーラーの冷気が裸体に吹き付けていて、それが次第にこたえるようになった。仕方がないので、クーラーを止めて、シャワーの前に脱ぎすてた服を着なおした。ほぼ無音となった室内では自分の心臓の音だけが聞こえた。目の前に横たわるのはLLサイズの特大スーツケースだった。これが開かない場合は日本からのお土産はすべて台無しになる。これから出会う友人たちに配るお土産はまだたくさん残っている。残り3日間を過ごすための衣服も身に着けることはできない。ガイドブックもスマートフォンの充電器もスーツケースの中にあった。

 このすべてを日本に持ち帰ることになったら、いったい何のために台湾に来たのか分からないではないか。それこそ役に立たないただの粗大なお荷物である。ロックを壊して中身を取り出す方法も考えたが、あいにく破壊できるような道具は持ち合わせていなかったし、部屋の中にも見当たらない。それに中身は欲しいがスーツケース自体も惜しい。受付の人にお願いしてみるべきか。

 そんなことが頭の中をグルグルと駆けずり回っていたとき、指先のロックの感触がにわかに変わりはじめていることに気がついた。僕は指先に神経を集中した。少しでも他の数字と違う動きを見せればそれが正解だ。やがてパチッといって唐突にロックは外れた。スーツケースに閉じ込められていた外気のぬくもりがムアッと身体にあたって、それはとても懐かしいものに思えた。

 ホテルのロビーには既にLinさんの姿があった。僕はありがとうと言ってホテルの予約金をLinさんの手に戻した。Linさんは僕に部屋はどうですかと聞いた。室内のことなどまったく考える余裕はなかったのであるが、僕はとても快適なホテルだ、どうもありがとうありがとうと言った。

 Linさんはおススメお店があると言って、僕たちは歩いた。台中駅の方面にしばらく進んでいくと、道路に人だかりができていた。それはお店の前に行列する人々の群れだった。

 宮原眼科はその名前のとおり戦前に宮原さんが開院していた医院であったが、建物を改装して現在はアイスクリーム屋さんになっているという話だ。赤レンガ造りの建造物は、そこだけ周囲の時代から切り取られたような佇まいで、かつて台中で歩んできた歴史というものの貫禄を十分に漂わせていた。

 思っていたよりもお店の回転ははやく、いつのまにか僕らの注文する番がまわってきた。Linさんはあれこれ言ってアイスを選定した。その手際のよさはとても頼もしく僕はつい感心してしまった。

 テーブルを見回してみたものの、どこも人がいっぱいで、席はひとつも空いていなかった。手に持つアイスクリームの表面は溶けかかりはじめていた。そんななか、一組の男女が僕らに向かって手招きしている。彼らは手持ちのカップをさらっと空にすると、どうぞお使いくださいというようなことを言って、テーブルとイスを僕たちに譲ってくれた。

 Linさんが選んだアイスクリームはお茶とマンゴーの組み合わせだった。僕はお土産に持ってきた銘菓じゃがぽっくるを渡した。



アイスクリームはまだとけない




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台湾はちんほうちゃな食べ物であふれている。でもそこで出会ったのは、食べ物ばかりでなく、美しいシゼン、よく眠るイヌ、そしてとても優しいヒトビトだった。そのどれもが、明るくて、のんきで、楽しくて。そんな「ちんほうちゃ」な出来事を、とりためた写真の隅っこから、いつもニヤニヤしながら切り取っているんです。
※ちんほうちゃは台湾語でとても美味しいの意味です。
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