佐倉歩道の白い牙

 チョウさんの運転するバイクは松園別館をはなれていつしか佐倉街にはいっていた。後部座席の絶え間ない風の直撃にしばたたきを繰り返す両眼のすきまから、日本の田舎とさしてかわりのない民家の風景が、道の脇にいくつも後退していくのが見えていた。

 その連続したうつりかわりのなかで、放し飼いにされた一匹の小型犬が、数軒先の道の真ん中に犬座りしている姿があった。

 バイクがその手前にさしかかるかしないかのどこか境界付近で、それまでおとなしく座っていると思われた小型犬が、いままで獲物でも待ちかまえていたかのように、突然、ものすごい剣幕で吠えはじめた。

 その眼は血走り、耳は尖り、鼻面はひきつり、しまる歯茎のうえは鋭利な牙がむきだされ、喉の奥からウォンウォンとドスの効いた低音をとどろかせる、ただ怒り狂うだけの獰猛な獣のかたまりに豹変した。
 
 こんな小さな体のいったいどこにこんな力が潜んでいたのか、まるで上半身が裂けた口そのものといったような、凶暴性と残忍性とを兼ね備えた暴虐の怪物だった。

 はたしてバイクの走る速度に勝てると思っているのか、その小さな怪物には、どこまでも追いかけてくる意志と執念があった。バイクに追いつき追いこすことにまったくの自信と余裕とをもっていた。そしてすきさえあれば飛びかかりその力のこもった大きな口で押さえつけたい欲望があった。バイクの速度がすこしでも落ちることがあるとするならば、それは確実にかみ殺されることを意味した。

 逃げつづければ逃げつづけるほど、あちらこちらの民家の傍らからよだれを垂れながす仲間たちがわらわらと加わり、その数は絶望的なまでに不気味な増殖を繰り返していった。

 チョウさんはハンドル下にある前輪ポケットから「これをこれを」と折りたたみ傘をだした。私は素早く受け取り、アルミの柄をひきぬき、ほどよい長さにすると、並走する先頭の犬の背中めがけて振り落とした。もはや武器となった傘であったが、その先端はあっけなくかわされ、その一撃は空振りにおわった。しかしどうしたことか、犬はキャヒヒ~ンと急に弱い声でひと鳴きすると追いかける速度をゆるめた。打たれたら痛い、ということをまるでわかっているかのように。それから、犬の集団はつぎつぎにバイクからはなれていった。

 私は極度の恐怖を感じたとともに本能のたくましさを感じた。それはある意味野生が持つ力強さと美しさの両立ともいえるものだった。

 以前に台湾の友人に飼い犬は野良犬よりも凶暴だから気をつけろと聞いたことがある。飼い犬は主をまもるために飼いならされ、ときには攻撃もためらわない。その日その日を呑気に生きる野良犬よりも好戦的になる場合がある、ということだった。

 佐倉歩道の入口に着くと偶然にもチョウさんの友人がいた。その友人のバイクに隠れるように、一匹のぶち犬が舌をだしてこきざみに呼吸していた。それからゴムマリがはずむみたいにバイクのステップに昇ったり降りたり嬉しそうに繰り返した。

 佐倉歩道花蓮駅から北へ数キロのところにあるハイキングコースである。片道4キロほどのやや勾配のきいた林道で、てっぺんに行けば花蓮の海岸から市街地までが一望できるといわれている。

 頭上にはカシやクヌギに似た大木がそびえ、その間を雑木が埋め、ツタやツルが張りめぐらされていた。木の幹にはカナブンや名も知れぬ虫がくっつき、草むらには蝶が飛びかっていた。

 林道はむせるほどの暑さであった。しばらく進むと木の枝がばさばさと揺らされる音がして、すぐあとにキィーという動物の鳴き声がした。見上げるとこちらに鋭い視線を投げつけるものがあった。猿だ。どうやら私たちは歓迎されている様子でないようだ。ザックにしまった折りたたみ傘の突起の感触を右手に確かめると、私はふたたび戦闘態勢に移行した。

***花蓮の佐倉歩道***



佐倉歩道の白い牙




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台湾ちんほうちゃ日記

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みのりおん

台湾の街とか田舎とか飯屋をウロウロとあるきまわる無気力無思考無頓着なタワイモナイ日々をなけなしの写真とバカな文章でただひたすら書きつづけます。
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